うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【養育者の行動のバリエーションと乳児の好みとが一致すると、乳児は自己と他者を同定する行動上の不変要素を認知する最適な機会を得ることになります。】


 今日の日中は、健康診断で休んだたくちゃんと、今日が休みのまりちゃんと、すき屋さんに食べに行きました。
まりちゃんが、クーポンがあるとのことで行って来ました。
 三人共、並のサラダセット。美味しくいただきました。



 散歩がてら寄った池ノ原で、お薄を頂き、


 外は寒いので、蔵王山の展望台に行きました。


 一緒に魚を踏んだり(笑)、菜の花を蹴散らしたりしていたら、段々盛り上がって、いい運動になりました!


 帰宅して入浴したら。皆さん帰宅されました。
月曜日と水曜日は、学齢児さんの入浴もあるので、きちんと時間配分をさせて頂いて、うまく回っています。



 本は、帰宅前、お腹が空きすぎて(笑)、ファミマで軽く食べながら読みましたが、自律神経が3つあるとは、勉強不足でした.....。
新しい脳、古い脳と同じように、進化の中でそういう風になったとも書かれていて、ここまで心理学も進んでいるんだ!と、勉強不足を猛省しました。
 アップは、まだスターンの復習ですが、H.S.サリヴァンが、精神に障がいをお持ちの方は、口の周囲の横紋筋が一番先に症状が出ると言っていたのも、現在読ませて頂いている本では、科学的に実証されていて、やっぱりサリヴァンは凄かったのか?と思ってしまいました。
 フロイト、クライン、ウィニコットを軸に、その周辺の方々の本をここ3年読ませて頂いたので、現在読ませて頂いている本が、頭の中に入るのかも知れないな、とも思いました。何でも基礎をしっかり勉強しないと、本当に的の得た、応用やひらめきが出来ないのかも知れません。




 下記は、ちょっと勘違いしそうですね。利用者さんに迎合だけするようなことは、決してしてはいけませんね.....。
少し逸れた話になるかもしれませんが、中井久夫先生が、優しいというのが当たり前になっているのではないか?と注意喚起されていましたが、世の中左に偏り過ぎると、自分の権利ばかり主張する傾向が多く見られますが、お互い相手があることなので、お互いが同等なはずです。そこを勘違いしたり、きちんと学習していないと、迎合することが、優しさだと勘違いして、迎合しないと冷たいだとか、酷い場合は、虐待なんて言葉を平気で発する方も居られるのも事実です。
 『養育者の行動のバリエーションと乳児の好みとが一致すると、乳児は自己と他者を同定する行動上の不変要素を認知する最適な機会を得ることになります。』

 自分は、自信がないので、勉強させて頂いているし、ギターも下手なので毎日弾かないと普通に弾く事ができないので、やっているだけです。頭が悪く、不器用に産んだ親を怨みたい(笑)くらいです。


 前言語的な方々には、下記の方法が一番自然に出来るように感じています。勿論、その方々に合せたやり方を見つけてのことですが。





 

自己−不変要素同定を促す日常的状況
 まず第1に、乳児が誘発する養育者(訳注:乳児の世話をする人)の社交的行動は、一般に大袈裟で、ある程度お決まりのものです。“赤ちゃん言葉”がそのよい例ですが、それはハイピッチ、単純な構文、ゆっくりしたテンポ、大袈裟なイントネーションなどで特徴づけられます(Ferguson 1964;Snow 1972;Stern,Spieker and MacKain 1983)。“赤ちゃん顔”(大人が乳児に対してよくする、奇妙ながら印象的な顔)は、長い時間をかけ、ゆっくりと、できる限り大袈裟な表現をしたり、やめたりすることが特徴です(Stern 1977)。同様に、見つめ合い行動も誇張され、乳児が大人の行動に焦点を合わせ、専らそれのみに注目するよう、ちょうどよい距離まで大人の方で近づく傾向にあります。社交場面に乳児がいる場合、大人はその行動をいろいろ変化させ、乳児のもつ生来の知覚の歪み(たとえば、乳児は“赤ちゃんことば”で代表されるような高いピッチの音を好みます)にちょうどうまく合わせます。その結果、赤ちゃんは、思う存分大人の行動に参加できるのです。 そして、つまるところ、これら養育者による同一の行動が、乳児にとって、他者を規定する不変要素を拾い出す刺激となるのです。養育者の行動のバリエーションと乳児の好みとが一致すると、乳児は自己と他者を同定する行動上の不変要素を認知する最適な機会を得ることになります。