うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

朝の掃除と、「正常性バイアス」(Normalcy bias) と、【なだめ、満足を与え、眠らせるのは、限られた範囲でのテーマとそのバリエーションに従った儀式です(上手になだめられないのは、中途半端で不完全な、効果のない儀式を繰り返しているからだと言えますが、それも儀式にはちがいありません)。】


夜勤明け、皆さんが掃除を手伝ってくれたので、助かりました!
笑顔で就寝された朝は、皆さん生き生きとされている感じが、いつもします!


 夜勤明け、寝ようかどうかと、決められなくなっている(笑)、ぼーっとした頭では決断できず(笑)、取り敢えずギターを抱えて、メジャースケールと7thスケールのおさらいをしてから、給与計算と欲をかいていましたが(笑)、眠くてねようか?いや、事務仕事が給与計算だけでなくいくつかやらねば.....と健闘もむなしく、だらだらとした一日を過ごしてしまいました......。



 だらだらと(笑)、ギターの後はネットのニュースを見ていて、「正常性バイアス」(Normalcy bias) なる言葉に、再会しました(笑)。でも、改めて、「正常性バイアス」(Normalcy bias) という意味を考えたら、支援でも事業を継続して行く上でも、どこか頭の片隅に入れて置かなければいけない事だとも思いました。
 最初に働かせて頂いた施設の先輩が、初めは色々言われても、我慢できたが、慣れてくればくるほど、わがままが出てしまうと言われて、辞めて行かれたのも15年以上前の話ですが、この言葉(用語)を見つけた時には、昨日のことのように鮮明に臭いまでするくらいに思い出しました。
 スターンは、直接この言葉には触れてはいませんが、現場での支援でも、安心しきるというのは、だめになる始めかも知れませんね。
新米の臨床家でも、誠意が前面に出ている時は、患者さんは症状を悪化させないが、臨床家がその患者さんに対して興味が薄れていくと、症状が徐々に悪化すると書いていました。それは、どんなことでもそうかもしれませんね.......。




 それは、下記を忘れてしまうからかも知れませんね.....。

 『ここで重要なのは、この期間に見られる社交的交流が、純粋に認知的出来事ではあり得ないこと、つまり、情動と興奮の制御ぬきには考えられないことです。知覚、認知、記憶も、たしかにこれらの制御にとって、かなりの役割を担っています。しかしそれらはすべて情動と興奮に関するものなのです。』

 






ここで重要なのは、この期間に見られる社交的交流が、純粋に認知的出来事ではあり得ないこと、つまり、情動と興奮の制御ぬきには考えられないことです。知覚、認知、記憶も、たしかにこれらの制御にとって、かなりの役割を担っています。しかしそれらはすべて情動と興奮に関するものなのです。また、顔と顔を向かい合わせての社交的交流が人間のかかわりの主な形式の1つであるこの期間中、社会生活における主な感情の起伏は、このような社交的交流という出会いの間に起こるのであって、生理的制御が優勢を絞めている時、つまり、哺乳などの活動時に起こるのではないということも忘れてはなりません。こうした社会的事象は、乳児の認知的体験、情動体験双方にかかわってきます。 それでは、空腹や不快でむずかり哭いたりしている時、あるいは満腹して満足している時のように、生理的、身体的ニードに対する情動がきわめて激しい場合はどうでしょう。自己と他者の発見という観点からみた場合、こうした情報は、乳児にとって全く違う社会的状況なのでしょうか。そうではありません。この場合も、両親のとる行動は日常の遊びの場合と同じ一般的ルールに従います。行動は大袈裟に、適当な変化をつけて繰り返され、画一的です。むずかっている赤ちゃんをなだめようとしているのを想像してみてください。顔つきや発声、触覚を通しての両親の行動は、赤ちゃんがおとなしくなるまでかなり大袈裟に、一定の変化をつけて繰り返されます。 なだめ、満足を与え、眠らせるのは、限られた範囲でのテーマとそのバリエーションに従った儀式です(上手になだめられないのは、中途半端で不完全な、効果のない儀式を繰り返しているからだと言えますが、それも儀式にはちがいありません)。そしてその間、乳児はもちろん、両親の行動のテーマとなりバリエーションに沿って変わる情動の変化を体験するのです。
 こうした日々の出来事を機会として乳児は、中核自己を定める不変要素や、補足的に中核他者を定める不変要素を同定しなくてはなりません。〜