うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

バザー物品の追加と、【心の中にあるプランの存在が、意志や意図の感覚を生むのです。】


 朝、神戸館さんに、追加のバザー物品を持って行きました。
バザー物品は100円の物が一番出ています(笑)。
 絵の方は、藤岡さんに頂いた版画が既に3つと、敦煌の壁画の拓本が一つ出ていて、幸先のよいスタートになっています。
まだ二週間以上あるので、少しでも出ると良いですね!
 長澤さんご夫婦をはじめとして、ご協力頂きました皆様に感謝の言葉しかありません。





 本は、昼食時に復習していました。
下記は、しつこいですが(笑)、マーガレット・リトル先生の、まずは身体記憶から、と言うのを思い出しました。


【ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」】を、次に読む予定なので、参考になりそうな箇所かな?とも思いました。

 夜に豊橋まで出るので、何時に帰宅になるか分からないので、早めのアップです!





自己−不変要素の同定
発動性
からだと意志の不変要素は、おそらく中核自己−体験のうち最も基本的な不変要素でしょう。反射より高度のレベルでオーガナイズされる随意(横紋)筋の場合、どれをとってもまず運動プランが先行し、そこで初めて運動プランが筋肉群によって実行されます(Lashley 1951)。これらの運動プランが知覚にどう登録されるかは、正確にわかっていませんが、行為に先立って運動プランが精神に登録されると考えるのが一般的です(たいていは意識外ですが)。ところが運動の遂行が抑制されたり、何かの理由で誤って起こったり、あるいは最初のプランと一致しなかったりしたとたん、これらのプランの存在が自然に意識に上がってきます(拇指が口の中に入らず頬に当たるなど)。私たちは、自分たちの目や手や足が、私たちがプランした通りに動くことを期待しています。心の中にあるプランの存在が、意志や意図の感覚を生むのです。運動プランに気づいていなくても、意志の感覚があれば、私たちは自分の行為が自分のものであり、自己−動作であると思えます。そうでなければ、その時の行動が自分のものとして感じられず、乳児は操り人形が“感じる”のと同じように感じてしまうでしょう
 生まれたその時点からーー少なくとも随意うちの技能がはっきりするやいなやーー運動プランは存在するはずです。〜