今日もみなさん、笑顔で一日が終える事ができ、皆様に感謝しています!
帰宅しようとしたら、急にイタリアの方が現れ、びっくりしました(笑)。
月曜日は、日中も夜も賑やかな日が多いので、職員も沢山配置されていました。
帰宅したら、YWCAさんから、クリスマス・カードが届いていました。
がり勉クラブさんに、毎月、少額の寄付をさせて頂いているので(本当に少額で申し訳ないのですが......)、送って下さったのだと思っています。
皆さんの上に、いつも平安と祝福がありますように!
今日は、東京などに行くことになったので、薬の数をかぞえたら、やばく(笑)、遅番でしたので、慌てて受診して喘息の薬を頂いてきました(笑)。吸入ステロイドをさぼっていたので(笑)、呼吸の数値が下がっていて、きちんと吸入するようにと、言われました.....。
今日は吸入してから寝ます!
本は、受診待ちと、昼食時に読ませて頂きました。
まず下記は、ポリヴェーガル理論からです。やはりサリヴァン先生は凄かったんだと、改めて思いました!
向精神薬もなかった時代の精神科医なので、感性を研ぎ澄ませなければ、前に進めなかったのかも知れませんが、同じ時代の同業の方々が、サリヴァン先生ほどの感性があったかと言うと、なかったのかもしれませんね....。
中井久夫先生は、サリヴァンなどの翻訳はしておられますが、ラカンの翻訳の話もあったそうですが、断ったと、図書館で立ち読みした本に書かれていました。自分にはその本質はわかりませんが、ラカンの本を少しだけ読ませて頂きましたが、他の方々が言われるように、言葉に酔っているいる感じがして、それが個人的にも気になってしまいました。お前みたいな奴が言うな!と叱られますね.....。
現場にいても、顔の表情をまず見させて頂く癖がついているので、口の周囲の横紋筋が特に自分は気になります。勿論、サリヴァン先生のせいです(笑)。
〜有髄迷走神経の制御を失うと、表現できる情動の種類が変わってきます。顔の上部の筋肉は緊張を失い、顔の下半分の筋肉の緊張が増す可能性があります。なぜなら、顔の上半分は安全を伝える重要な「合図」を発することに使われ、顔の下半分は咬みつくといった闘争/逃走行動を引き起こす防衛反応系に関与しているためです。〜
下記は、今日重度の方を、スムーズに寝て頂くために使った方法でもあります。
『抱きしめたり暖かい体の輪郭に身をすり寄せることと抱きしめられること、相手の目を見つめることと見つめられること、そして誰かにすがりつくこととすがりつかれること。』
やはり、安全・安心感を感じて頂く事が、まずしなくてはいけないことだと思います!
客観的事象としての他者と共にある自己
〜乳児は、乳児自身の自己−体験を調節する他者と共にあります。この意味で他者は、乳児にとって、自己を制御する他者です。いないいないばーのようなゲームでは、乳児の覚醒を制御することが大きいでしょう。つまりこのゲームでは、他者は自己−覚醒を制御する他者と言えるわけです。ただ覚醒は、他者が制御できた自己−体験のごく一例にすぎません。 情動の強さもまた、乳児にとって覚醒の自己−体験です。これも養育者により、ほとんど絶え間なく制御されます。たとえば、微笑み合いによる交流の場合、情動表出の強さのレベルは二人の間で徐々に強めていくことができます。パートナーの一方が笑いを強めれば、もう一方はもっと大きな笑いを誘発されるかもしれません。そしてそれがさらに大きな笑いを誘い、ついには陽性のフィードバックの螺旋を作り上げます(上記と以下に関する詳細は、Beebe 1973;Tronick et al.1977;Beebe and Kroner 1985参照)。 安全や愛着もこれに似た自己−体験です。愛着の感情、身体的親密感、安全などを制御する出来事は皆、相互交流の中で産み出される体験です。抱きしめたり暖かい体の輪郭に身をすり寄せることと抱きしめられること、相手の目を見つめることと見つめられること、そして誰かにすがりつくこととすがりつかれることーーこの種の、他者と共にあるという自己−体験は、文字通り、他者の行為や存在によって誘発されたり維持されなければけっして起こらないという意味で、私たちの体験の中でも最も完璧に社交的なものだと言えます。それらは他者なくしては、既知の自己−体験の一部として存在し得ません。このことは、自己−制御する他者が実在するものでなく、空想上のものであったとしてもあてはまります(空想であっても、抱擁という体験にはパートナーが必要です。もちろんパートナーがいなくても、抱擁は体験できるかもしれませんが、完全な体験とはなりません。このことは、人間ばかりでなく、枕を抱く場合にもあてはまります。要は、枕が抱きしめ返すかどうかではなく、枕が物理的に存在するか、その感触が想像できるかということです。この意味で、中途半端な抱擁とか、中途半端なキスというものはありません)。〜