うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

富士山と、【また、乳児と養育者は双方とも、世界に対する乳児の注意や好奇心、知的没頭を制御しています。養育者という媒介者が、乳児は好奇心や探索への欲望に大きな影響を与えます。】


 先程、一旦自宅に戻りました。往きは富士山がきれいに見えましたが、帰りは積雪が増えたようにも感じ、雲が山頂を覆っている時間が長く、良いタイミングで写せませんでした。

 明日も早く出るので、早めに寝ます(笑)。
アトリエ・ココアさんの感動は、次回に持ち越させて頂きます。




 下記は、現場でも言えることなので、支援時の言動には、注意を払わなければいけませんね....。 
 『また、乳児と養育者は双方とも、世界に対する乳児の注意や好奇心、知的没頭を制御しています。養育者という媒介者が、乳児は好奇心や探索への欲望に大きな影響を与えます。』






 〜愛着論者は、他者の存在が安全の制御に欠くことができないことを強調しました。愛着は、親/子感激の質を見きわめるのにとても重要なものですが、それだけで親/子の関係性についてすべて語れるものでもありません。他者によって制御される自己−体験の中には、愛着という特定のカテゴリーにはまりきらないものも多く存在するからです。興奮についてはすでに述べてきましたので、その他について後から触れることにします。 両親はまた、乳児がどのカテゴリーの情動を体験するってか調節することもできます。そうした中核は、乳児の行動に意味をもたせたり、あるいは次のような問いかけをすることによって為されます。“この顔はおもしろい顔?それとも驚いた顔?”“あなたはカップをおもしろがって叩いているの、それとも憎らしくてやっているの、それとも何か嫌なことでもあるの?”。事実、正誤2〜7ヵ月、乳児が感じることのできる情動スぺクトラムのかなりの部分は、他者がいて初めて、また他者という相互交流できる倍額を通じて初めて可能となります。すなわち、他者と共にあることによってのみ可能なのです。 また、乳児と養育者は双方とも、世界に対する乳児の注意や好奇心、知的没頭を制御しています。養育者という媒介者が、乳児は好奇心や探索への欲望に大きな影響を与えます。