うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

散歩と、【体験に関する最新のオーガナイゼーションが、それ以前の体験のオーガナイゼーションを凌ぐのです。そのらは互いに共存し合いません。】


アップしようとすると、何か用事が出来て、2日連続アップし忘れていました。(笑)
まあ、見ていていて頂けているかは、怪しいですが。(笑)

 先日、名古屋に行って、用事がまだあったので慌てて帰宅してきました。
いつも素敵な上記の物も写させて頂き、添えられていた聖書の言葉も、今の自分と重なって、少しだけ胸が痛くなりました(笑)。




 昨日は、金曜日の散歩に当たり、ラッキーでした!
24,000歩歩き、消費カロリーも600kcalを超しました!

 野菜の差し入れも頂き、本当にありがとうございました!

 変な時間に更新です(笑)。

 3冊目のスターンも大分進みました。
アップはまだ2冊目のものですが、読んでいる箇所と重なっているので、より理解が進みます。





 下記が本当なら、現場でもそれを念頭において、直ぐに実践して行くべきではないでしょうか?
 『体験に関する最新のオーガナイゼーションが、それ以前の体験のオーガナイゼーションを凌ぐのです。そのらは互いに共存し合いません。』 







 それぞれの段階がこのような発達推移を遂げるなら、それ以前の段階に似たものに逆戻りすることは可能です。しかし発達過程にある人が逆戻りして以前に体験したのと同じような方法で世界を体験するようになるには、特別な過程と状態が必要です。臨床理論では、退行がその目的にかないます。また、WernerとKaplanのシステム(1963)によれば、人は個体発生の螺旋を昇ったり降りたりすることができます。過去のより漠然とした体験へのこうした逆戻りは、主に挑戦、ストレス、葛藤、適応の失敗、疲労、夢遊状態、精神病理状態、あるいは薬物で起こると考えられています。これらの退行を除けば、発達途上にある世界観は主に継続的、連鎖的で、同時に存在するものではありません。体験に関する最新のオーガナイゼーションが、それ以前の体験のオーガナイゼーションを凌ぐのです。そのらは互いに共存し合いません。

  〜しかし、それはここでのテーマではありません。ここで考えようとしているのは、私たちの対人関係上の出会いの中から生じてくる自己感です。この主観的領域では、いくつかの自己感が同時に存在すると考える方が日常体験により近いように思われます。そうすれば異なった領域で起こる体験と体験の間、つまり異なった自己感と自己感の間を行ったり来たりするための特別な状態や過程も必要ないのです。