うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

搬出と、お化け屋敷と、【私たちは自分の体験を、それが何か独特で主観的なオーガナイゼーションに属すると思えるようなやり方で、本能的に加工処理します。この主観的オーガナイゼーションを、通常自己感と呼びます。】


 早朝に名古屋に向かい、何とか搬出してきて、副理事長との昼食会にも間に合いました。
やっと休憩したところです。が、もう少ししたら夜勤に入ります(笑)。


 会場には、外された作品が沢山残っていて、辻さんの作品も残っていました。
スイスのローザンヌにある、アールブリュット美術館の館長さんが、滋賀県に来られるというので、滋賀の北岡さんから、辻さんの作品を推薦して頂き、滋賀まで沢山辻さんの作品を持って行って、会場で並べたのも、もう一昔ですね。

ローザンヌでの展示が決定したあと、首相官邸で作家たちが集まりましたが、辻さんと一緒に行かせて頂いたのも、思い出しました。
第1次安倍内閣でしたね。現在は、第3次になりましたが。
 自閉症の方は、東北弁を話さないというような本がありましたが、関西の自閉症の方には、バリバリの関西弁を話される方が結構いますので、関西弁は話すのでしょうか?そんな本があれば読みたいですね!



 少しだけギターを弾いてから、雨なので歩いて夜勤に入りました。
今日は、重度の方がいて、少しバタバタしていましたが、主任さんが残業してくれたり、管理者さんが、自分の受診帰りによってくれたらりで、助かりました。
 ありがとうございました!
 いのうえっちが、ウクレレを弾いたり、ギターを弾いたりしても、皆さんの反応が悪くなってきたので(笑)、お化け屋敷をしていました(笑)。
女子には受けていました!







 今日は、本が読めていません。

 アップの箇所を読んでいたので、スターンに入っても、少しは(笑)理解しやすくなっている感じがしています。
予習できてよかったです。





2.4つの自己感
 〜まず、自己感に関するSternの記載を見てみましょう。 「私たちは成人として、日常の社会体験に浸透している、まさに実感としての自己感を持っています。それらはいろいろな形をとって現れます。まず、他から区別された、一個の、均衡のとれた肉体であるという自己感。そして行動の発動者、感情の体験者、意図の決定者、計画の設計者、体験の言語への転換者、伝達者、個人知識の共有者であるという自己感もある。これらの自己感は呼吸と同じで、大抵の場合意識の外にありますが、時にはそれが意識にのぼり、そこにとどまることもあります。私たちは自分の体験を、それが何か独特で主観的なオーガナイゼーションに属すると思えるようなやり方で、本能的に加工処理します。この主観的オーガナイゼーションを、通常自己感と呼びます。」(p.6)。

 「『感sense』という場合、それは単純な(自己反映的ではない)意識を意味します。また、『自己』という言葉は、乳児の行動や精神過程に伴ってのみ起こってくる意識の不変的パターンを意味します。意識の不変パターンとは、オーガナイゼーションの様式の1つです。それがどんなものであれ、オーガナイゼーションを促す主観的体験が、後に『自己』という言葉で呼ばれるようになります。つまりこのオーガナイゼーションを促す主観的体験こそ、言葉をもつ以前に存在する自己なのです」(p.8)。
 ここでいうオーガナイゼーションという言葉は、組織とか組成、あるいはもっと平たく、「まとまり」と考えて構いません。


 Sternはそうした自己構いませんを、4つの「領域domain」に分けて考えます(図7-2)。彼があえて領域という言葉を使うのは、それぞれの自己感が、発達上の通過段階ではなく、いったん形成されると一生涯を通じて活動を続ける「体験こそ領域」であるからです。つまり、「いったん無事に通過すればもう安心」な(口唇期、肛門期などの)発達段階とは違い、自己感という体験領域には、成長してからも、いつ何時異常が生じるか分からないのです。裏返して言えば、ある自己感の領域の異常をもって、その病理の原点を推測することはできません。なぜなら、各自己感の形成期は、それ以後に比べ、感受性は高いものの、その時期だけが病理の原点の候補ではないからです。