うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

草刈りと、散歩と、【こうした母子間の交流が、1日に何十回と繰り返されますが、その間、母親の側に共感不全があり、幼児の健全な誇大性を映し出す鏡としての作業を果たせないと、幼児の自己の構造は融合性を獲得できず、『欠損』を残します。】



 今日は早めに出て、本ではなく(笑)、渥美に行くついでに、すろーじゃむの草刈りをして来ました!
30分くらいで、汗が噴き出してきたので、止めて置きました。その後、仕事があるので、あまりにも汗臭いと、みなさんに迷惑を掛けますので!
 刈った草は、いつもの如く(笑)、ブドウの根元に置いてきました。葉が落ちてから剪定します!





 今日も暑かったので、午前も午後も、蔵王山の展望台を昇降したり、回ったりしてきました!沢山歩きました!
展望台の掃除をされている方も、としちゃんに『おはよう!』って挨拶をして頂けるようになりました!
 涼しくなれば、屋外で自由に歩けますが、それまでの間は、お願い致します!
時々、気を使って、展望台で、ソフトクリームや、メロンシャーベットをとしちゃんと頂いています。





 本は、草刈りを中止して、水分補給をしながら、20分くらい読ませて頂きました。
ちょうど、コフートの周辺のスターンの所が終わりそうです。次に何を読ませて頂こうかと考えていたら、後継者と称される、ストロロウにはいかず(笑)、自分がおそらく、現在欲していると思われるスターンの本を2冊購入させて頂いています。



 下記を見ていると、やはりスターンで正解だったのかな?と思いました。
現場でも母親を支援者と置き換えて(小文字や中文字の)、欠損が生まれないようにさせて頂こうと必死です.....。
 『こうした母子間の交流が、1日に何十回と繰り返されますが、その間、母親の側に共感不全があり、幼児の健全な誇大性を映し出す鏡としての作業を果たせないと、幼児の自己の構造は融合性を獲得できず、『欠損』を残します。』



 下記も、現場での支援でも、全く同じような感じですし、他の職員達も、そうあって欲しいとも願っています。
 『正常な状況のもとにおける母親の反応は、赤ん坊の自己の確立を予期しているーー母親は、赤ん坊に自己が実際以上に確立しているものと見当をつけている。言い換えれば母親は、子どもの実際の発達の先を見越しており、彼女なりの期待をもって子どもの発達を促進することに、何とも言えない歓喜joyを覚える。』





第2章『自己の修復』
2,自己愛パーソナリティ障害の分析の終結
 〜そうした変容性内在化の積み重ねにより、自己の構造が融合性を確立していきますが、その過程で何といっても重要なのは母親の役割です。 「正常な状況のもとにおける母親の反応は、赤ん坊の自己の確立を予期しているーー母親は、赤ん坊に自己が実際以上に確立しているものと見当をつけている。言い換えれば母親は、子どもの実際の発達の先を見越しており、彼女なりの期待をもって子どもの発達を促進することに、何とも言えない歓喜joyを覚える」(p.26−7)。
 深層心理学の観点から言えば、歓喜joyの体験は、快楽の体験とは違った発生的ルーツをもっている。……歓喜は昇華されます快楽ではない。歓喜は、自己全体の体験にかかわるものであるに対し、快楽は……自己の部分および構成要素ではない体験にかかわるものである」(p.45)。  こうした母子間の交流が、1日に何十回と繰り返されますが、その間、母親の側に共感不全があり、幼児の健全な誇大性を映し出す鏡としての作業を果たせないと、幼児の自己の構造は融合性を獲得できず、『欠損』を残します。Kohutは、この母親の側の映し出し)機能不全が、発生論的に、自己の一次的欠損に関連していると考えます。  「そうした(自己愛)障害の患者の母親が存命中なら、多くの場合、彼女に共感の欠如、ないしは誤ったら共感的反応を、分析を通してじかに突き止めることができるはずである」(p. 7)。  しかし、そうした母親の共感不全も、それだけが孤立して存在するわけではありません。
  「母親の誤った共感だけを別個に取り上げ判断することは、まずできない。……大部分の場合、それは、非常に困難な人生と局面taskに直面しているために起こす共感不全として評価されるべきである」(p.29)。〜