アトリエ・カーグと、今日のうたたねと、わたし、37度が平熱なんですと、【 《退行》という概念は「幼児返りがその人格全体に起こった」とみる傾向を持ち込みやすいし、その結果「ほかの人格部分(すなわち健康な大人の自己)が作動している」との視点を希薄にさせる。】
厳重な予防対策の下、久しぶりにアトリエ・カーグが開催されました!
今日の画題は、お面でした。
といっても、お面を描かれたのはこの3名でした。中々素敵な作品ですね!
まさくんは、いつもの感じでしたが、今の世の中を描いているかのようでした!
はるくんは、大好きな車を沢山!
こばちゃんは、前回の続き!ガウディのように、いつ出来るのか? 慌てず、落ち着いて描かれる姿勢は見習うべきものがあります。
鬼さん(笑)は、今日は時間をかけて頑張りました!
なおきくんも、前回の続きでしたが、完成しました!
皆さんそれぞれに素敵な作品が、久しぶりに出来上がりました!
りえさんも、お面に興味津々!
お昼を食べてから、男子だけ、すろーじゃむの湯に行きました!
お湯がたまるまで、まったり(笑)。
皆さん楽しみにされているので、時間さえ許せば来たいですね!
今日も笑顔で1日終われたこと感謝です!
下記のニュースは、本当にそうですね。自分は熱ではなく、喘息がいつ出るのか?分からないので、この状況下毎日不安を覚えます。
松木先生に戻りました。この本も良書です!
深層にまで届くというのは、大変なことですが、頑張る値打もありますし、そこを触ることが出来なければ、何も変わらないのかも知れませんね。
~さらにここで、《退行》という概念が生む「《退行》から治療者の『世話・抱っこ』へと進む思索の流れでの誤謬」が浮かび上がってくる。
この誤謬は、《退行》の概念に没頭しすぎてしまったがゆえに、その用語のもつ派生的な意味合いにそうとは気づかないままに規定されてしまったことから生じたものであろう。
《退行》という概念は「幼児返りがその人格全体に起こった」とみる傾向を持ち込みやすいし、その結果「ほかの人格部分(すなわち健康な大人の自己)が作動している」との視点を希薄にさせる。
被分析者は、母親にすべてを依存している赤ん坊そのものでは決してない。彼は幼児の自己と同時に大人の自己(あるいは健康な自己)を持っているし、それを分析治療のなかに持ち込むことができるのである。
ゆえに、赤ん坊と違って被分析者は、治療者の解釈を通して《転移》を見つめることができるのである※1。~
※1 母親の乳房の温もりや包み込む暖かい柔らかさは必要なものではあるが、〈解釈〉というミルクを与える乳首こそが赤ん坊をほんとうに安らがせ、成長させていく。そして赤ん坊がみずからも吸う機能を能動的に活用するところに、こころの発達がある。分析的治療も同じであろう。