うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

買い物と、【Kohutによれば幼児は、失われゆく万能感を、理想化された対象に託し、その対象とのかかわりを持ち続けることによって明らかそれを保持しようとします。】

 
 夜勤明け、また、寝ようか?寝ないでおこうかと、悩んでいたら(笑)もうこの時間....。
お盆休みの方々は、帰省されたり、うたたねで過ごされたりで、今日は、親分の運転で送迎やドライブに行ったそうです。
 お昼に、近くのコンビニに皆さんで買い物に行ったと、写メが送られてきました。
写っていない方も居られますが、選ぶのが早くて、写せなかったと、親分談(笑)
 ご自分で選んだものは、大好きなものなので、皆さん残さずに食べられたとのことでした。

 朝は、大分前から朝マックと決まっていたので、自分の時には、朝食をフレンチトーストかホットサンドを5時半くらいか作るので、気が緩んでしまったのかも知れませんね(笑)
 まりちゃんが、仕事だったので、マックには、いのうえっちと、利恵さんと3人で行って来て、テイクアウトしてきました。
皆さん嬉しそうですが、この前食べたばかりかも(笑)。6時半に貰いに行きましたが、すでに暑かったです.......。




 いつもは、適当にとる仮眠をとれず(楽な夜勤だったので、書類に目を通しながら、6時前にうとうとしていて、いのうえっちに起こして頂きましたがw)、本を読む気力もなく(笑)、真直ぐ帰宅しました(笑)。貯金があるので(現金のは、全くありませんがw)、余裕です。
 ボーっとしている時には、取り敢えずギターを持ってしまいます(笑)。それで一日が終わります(笑)今は、自分的に難しい曲を2曲同時に練習していて、どうしてもスムーズに運指出来ない箇所がそれぞれ1か所ずつあり、そればかり集中的に弾きこんでいます。
それと、遊びがてら、ロカビリーやロックンロールのリフをいくつか引っ付けて、皆さんが踊れるようなリフの塊を、少しずつ増殖(笑)させています。




 読む本、読む本が新鮮に感じてしまうのは、やっぱり自分の勉強不足を露呈している様で、恥ずかしいですが、知らない、分からないことを、堂々と(笑)言えるのは良いことではないでしょうか?知ったかぶりなんかしていても、実力が上がるわけでもないですしね.....。
 ソクラテスのドクサの吟味ですね!


 下記は、英国学派でも対象やシンボルと言う時に使う概念の様な気もします。し、精神分析はもとより、福祉の現場でも、重度の方ほど、その方に少しでも近づくことができる支援者が、まず、その方の対象になって、そこから、他の支援者にも支援が出来るように(対象になれるように)していくことが重要なことだと思って、毎日支援方法を考えさせて頂いています。
 『自己対象との交流は、自己対象が目の前にいないと起こらないわけではありません。対象のイメージが心的内界に活性化できるなら、対象との実際の接触を必ずしも必要とはしません(前にあげた例で言えば、私はKohutに一度しか会ったことがありませんし、今はもう亡くなっていますが、それでも私の中において自己対象です)。』












もう1つは、理想化の対象としての機能です。Kohutによれば幼児は、失われゆく万能感を、理想化された対象に託し、その対象とのかかわりを持ち続けることによって明らかそれを保持しようとします。この理想化された自己対象の機能が、段階的に託し十分消化されて内在化(これをKohutは、変容性内在化と呼びます)されると、自己評価調整機能や、緊張緩和機能となります。一方、理想化できるような対象に恵まれなかった場合幼児は、そうしたきをつけて的欠損部分を補おうと、いつまでも『太古的な自己対象』(幼児的なレベルで理想化し、その理想化を保持できる関係)を希求し続けることになる。その治療的活性化が理想化転移です。 成熟した形で理想化の対象となる自己対象を求める気持ちも、生涯を通じて続きます。私の例にもどれば、「この本をKohut(あるいは日本での師)が読んだらどう思うだろう」と思いつつ書く私の中には、いつも理想化された自己対象のイメージが宿っていますし、もっと言えば、精神力動的な精神療法という世界自体が、私にとっての自己対象であるとも言えましょう。 自己対象は実在する対象(相手)であると書きました。実際Kohutの著作を読んでゆくと、表現上、自己対象という言葉が実際の母親を父親を指しています。とは言え、自己対象との交流は、自己対象が目の前にいないと起こらないわけではありません。対象のイメージが心的内界に活性化できるなら、対象との実際の接触を必ずしも必要とはしません(前にあげた例で言えば、私はKohutに一度しか会ったことがありませんし、今はもう亡くなっていますが、それでも私の中において自己対象です)。『自己の修復』においてKohutが記載した自己対象の機能は以上の2つですが、それに加えてKohutは『分析的治癒の機序』において、第3の自己対象機能を論じています。それが、『自己対象分析』と『自己の修復』においては鏡転移の亜型として分類されていた双子(分身)転移です。〜