うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

お化け(笑)と、【Kohut理論において自己対象は、実際の母親のように、実在の対象(相手)です。】


 今日も、いのうえっちが、みんなの笑いをとろうとして、色々と、頑張っていましたが、反応がいまいちだったので(笑)



 突然(笑)お化けになりました(笑)
が、本当に突然だったので、皆さんびっくりされていました(笑)
 ある面では、成功だったのかもしれませんが、急だと、リアクションに困ります(笑)



 今日は、夜勤なので、朝、近くのファミマで、ジムが開くまで本を読み、ジムでしっかりと、ストレッチと筋トレ、ランニングマシーンをやってきました。
ジムから帰り、仕事を横目に(笑)ギターも弾き込んでから、出勤しました!指の痛みが、思ったより早く治ったので、良かったです。



 下記は、逆に言えば『太古的な自己対象』を、見つけだせたら、その方の鏡転移の仕方が分かるので、持って行き方が、分かり易くなるということでしょうか?

『もし乳幼児がそうした自己対象ニード恵まれないと、『融和した自己』期と呼ばれる自己の発達段階に固着を起こし、いつまでも『太古的な自己対象』を希求し続けることになります。この『太古的な自己対象』が治療的に活性化されたのが鏡転移です。』




3.コフート理論の概要
 〜ある精神科レジデント(1児の母)が言った「(Mahlerも含めた)伝統的精神分析の発達理論に比べ、自己をその検索の中心におくKohutの発達理論は、私の育児経験にずっと近い」という言葉を心の片隅にとめておくと、さらに理解しやすいかもしれません。
 自己の始まりについてKohutは、「母親がはじめて赤ちゃんを目にし手に触れた瞬間に、人の自己を構築する過程は『実質的』に始まっている」(『自己の修復、p.100と述べ、母親を心の中のイメージとしてあるその自己を『実質的virtual自己』と呼んで、自己の起源と考えます。その自己は、産まれながらにして生への確固とした自信を持っており、その生を支える情緒的環境を当然のことと期待します。新生児の呼吸器が大気中の酸素を何の迷いもなくあてにするように、新生児は、心理的ニードと期待を濃やかに感じとってくれる共感的環境を、何のためらいもなく当てにしている」(自己の修復、p.2)と記載する時Kohutは、伝統的精神分析が描く、頼りないhelpless乳児をその前提とはしていません。共感的環境としてある母親に自分の要求をためらいなく向ける、アーサティブな存在を考えています(ここでアーサティブとは、自分らしさを求めて自分を出す態度です)。

 このアーサティブな乳児に共感的環境を与える母親――乳児が自分の一部として感じる母親――が自己対象です。Kohut理論において自己対象は、実際の母親のように、実在の対象(相手)です。




 〜その自己対象としてある母親が、乳幼児に対して果たす役割が2つあります。
 1つは、鏡としての機能です。自己対象は、生得的にプログラムされた『自分』を、共感的環境のもとで誇らしげに展開する乳幼児の自己を映し出し、その展開を促進します。そうした自己対象が与えられてはじめて自己は、幼児的(これをKohutは太古的archaicと呼びます)な自己対象ニードから抜け出し、より成熟した形の自己対象(『大人同士の関係』)から自己愛的な満足を得られるようになります。たとえば、こうしてKohutに関する原稿を書いている私にとっては自己対象は読者であり、読者(という鏡)からのフィードバックという映し出しが、私にとっての成熟した自己愛の満たし方であるといえましょう。もし乳幼児がそうした自己対象ニード恵まれないと、『融和した自己』期と呼ばれる自己の発達段階に固着を起こし、いつまでも『太古的な自己対象』を希求し続けることになります。この『太古的な自己対象』が治療的に活性化されたのが鏡転移です。