うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

うたたね茶会と、ここ掘れ!ひーひー!と、【「融和した自己期」の対象関係の再活性化である自己対象転移の治療場面での再現が、自己愛パーソナリティ診断の絶対的条件である。】





 今日は、日中がある施設もあり、昼間は少人数だった(4名の利用者さん)ので、久し振りにうたたね茶会を開きました!
しかし、直ぐに湖西までの迎えがあり、自分は利恵さんに立てたところでタイムアップで、送迎に向かいました!
 小さな、大福でしたが(笑)、納得して頂けたようでした。お薄はたっぷり点てました。



 帰宅したら、ひーひー王子が風呂場の前にいました(笑)
花火や爆竹の音が怖くて怯えていたので、親分が入れたようですが、洗剤のパッケージを噛み破ったとのことで、床がぬるぬるでした(笑)。まあ、自分も祭りは苦手です(笑)。
 浜松の身体に障がいをお持ちの施設で働かせて頂いていた時に、みなさんと過ごすのが嫌いな方が、職員からまだ障がいの受容が出来ていない、って言われていましたが、自分も人とつるむのが嫌で、出来れば一人で、ギターを納得いくまで練習したいし、本も読み漁りたい(笑)。なんでみんなと一緒に常時いないといけないのか?と思ったことがありました。
 佐々木正美先生は、こちらが自閉の方々に合す方が簡単な場合は、合わせればいいだけだ!みたいなことを言われていましたが、自分たちの仕事もしかりでは?自分がリスペクトしてもいない人間のいう事なんか、誰でも聞きたくないのでは?と思います。リスペクトまで行かなくても、きちんとした人間関係すらできていないのに、受容が出来ていないなんて......。その方は、自分とおない歳で、バイクの事故で頚損になってしまいましたが、慣れない入浴介助で、移乗の際に落しかけた際に、まずこち他の方を心配してくれました。『腰は大丈夫?』って。自分より人のことを真っ先に考えられる方が、受容できないはずがないですよね?
 その時は、事故にもならず、何とか移乗できましたが、その方に色々教わったから、今の自分があると思っています。






 夕食を摂って、ひーひー王子の散歩に行ったら、最近、家主さんとの境界に植えてある槇の木の下を、良く掘ります。
宝物でも埋まっているのか?と(笑)期待も膨らみましたが、何となく散歩しても、戻りたくないモードを出すので、もう一回行きましたが、まだ、行きたい様子.......。穴を掘っているのが、死に場所を探しているのかな?と思えて来ました。
 動物がなくなる時、姿を消すと、よく言われるので、ふとそんな気がしました。秋ですね!(笑)




 今日も、早めに出て、ファミマでスターンを読みました。アップはまだですが、序とあとがきを読んだだけでも、行動療法と精神分析との違いを見つけるよりも、もっと大事な核心に触れることが出来そうな気がしてきました!



 統合性のある自己が、融和された自己で、統合性が崩れた状態が、断片化.......。融和してなかったら、どっちかの極にいくから.....。中々難解ですね.....。 
 『これを発達論的にみると、自己の「融和した自己期」への固着fixationあるいは発達停止arrestとしてとらえられる病理が自己愛パーソナリティであるといえる。』




 下記は、上記への過程の説明ですね.....。
 『すなわち、(母、父という)共感的自己対象による映し出しmirroringと自己-対象の(自己による)理想化を通して変容性内在化の過程が進むと、自己は断片化の危険から遠ざかり、融和性を増して、「断片化した自己期」から「融和した自己期」へと移行する。』





 ここで、自己愛パーソナリティ診断の絶対的条件が出て来ますが、英国派に置き換えて考えれば、退行として見るのでしょうか?
どこまで退行しているのか?その時期に照準を当てるのと、同じ気がしますが、自分の理解不足でしょうか?
 『この希求の精神分析場面における治療的再活性が理想化転移、鏡(映し出し)転移である(p.28)。したがって、「融和した自己期」の対象関係の再活性化である自己対象転移の治療場面での再現が、自己愛パーソナリティ診断の絶対的条件である。』





 下記の状態は、障がいをお持ちでない方々にも、そのまま当てはまりますね。自分ではない対象に、例えば自分の師匠が凄い人なら、その人に同一化している人は良く見ますし、親が偉大な方は、親に同一化、子どもが立派になったら、子どもに同一化......。そんなこともそうなのでしょうか?いくら周囲の事を自慢しても、けなしても、自分の実力以上のことはできないし、自分を大きく見せても、傍から見れば張りぼてにしか見えないこと、よくありますね......。
 自分の言葉で話して、自分の身体で行動に移したいものです。それが拙い物であっても、そちらの方が信頼できることでしょう!
 『この「融和した自己期」において、共感的対応を示す自己-対象に恵まれず、緊張緩和機能、自己評価調節機能といった心的内界構造の変容性内在化を進めることのできなかった小児は、理想化された親のイメージ、そして(「誇大自己を誇らしげに映し出してくれる自己-対象を、生涯、飽くことなく希求することになる。』









3,Kohutの自己愛理論

 精神病psychosisと境界例を一方極とし、神経症、性格障害を他方の極とした場合、自己対象パーソナリティはその両者(極)の中間に位置するとKohutは考える(p.1-16)。これを発達論的にみると、自己の「融和した自己期」への固着fixationあるいは発達停止arrestとしてとらえられる病理が自己愛パーソナリティであるといえる。すなわち、(母、父という)共感的自己対象による映し出しmirroringと自己-対象の(自己による)理想化を通して変容性内在化の過程が進むと、自己は断片化の危険から遠ざかり、融和性を増して、「断片化した自己期」から「融和した自己期」へと移行する。この「融和した自己期」において、共感的対応を示す自己-対象に恵まれず、緊張緩和機能、自己評価調節機能といった心的内界構造の変容性内在化を進めることのできなかった小児は、理想化された親のイメージ、そして(「誇大自己を誇らしげに映し出してくれる自己-対象を、生涯、飽くことなく希求することになる。この希求の精神分析場面における治療的再活性が理想化転移、鏡(映し出し)転移である(p.28)。したがって、「融和した自己期」の対象関係の再活性化である自己対象転移の治療場面での再現が、自己愛パーソナリティ診断の絶対的条件である。