うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の散歩と、【「自己対象は、自己に欠けている機能(たとえば緊張緩和・自己評価調節)を補足するものとして体験される対象であり、それを人格特性は無視される」。】


 今日は、金曜日の散歩に当たり、ラッキーでした!
猛暑が去ったので、芦が池に行きましたが、ほとんどジョギング状態で、あっという間に終わってしまい、
 桜の狂い咲きでしょうか? 樹皮を見ると、ソメイヨシノに見えましたが......。


 時間があったので、白谷に行き、歩きました。
午前中は、ノルマの(笑)10,000歩を二人で歩き切りました!
 海辺もすっかり秋の匂いがしていました。

 たっぷり、水分補給をして、昼食、整容と済んで、


 午後からは、気温が上がってきたので、蔵王山展望台を歩きました。
整容を丁寧にさせて頂いたので、時間があまりなく、約6,000歩くらいになってしまいました。

 個人的には、自転車で出勤・帰宅し、夜のひーひー王子との散歩を入れたら、20,000歩を超しました(笑)。
お互い、良く寝れそうですね!




 本は少しだけ読ませて頂きましたが、アップはもう少しだけ、丸田先生が続きます。


 下記は、親がしたことよりも、親がどうあるのか、を重視するスターンのスタンス(ダジャレではありませんw)のような感じを個人的には受けました。そしたら、その対象は、薬でも良いのでしょうか? 境界例(になった)の話なので、愛着などの理論を横において今は、考えています。
  『「自己対象は、自己に欠けている機能(たとえば緊張緩和・自己評価調節)を補足するものとして体験される対象であり、それを人格特性は無視される」。』


 今日の夜勤者と、話をしていたら、下記の大切さを痛切することになりました。内容は言えませんが......。
自己評価を著しく低くされる方は、この辺の時期に何かあったのかもしれないと!
 『幼児が20ヵ月ぐらい(再接近期)から、母を離れて自分の世界を探索し始めるとき、この喚起記憶がある程度育っていることが前提となる。』

 下記は、大きなヒントをくれている感じがしますが、そうするのは、並大抵の努力で出来る事ではないとも知っているつもりなので、気が引き締まりもしました。
 『この喚起記憶が正常に発達し、心的内界の対象が恒常性を持ち始めれば――つまり、対象に向けられ、ポジティブな気持ちを、対象なしに、もっと言えば、対象にネガティブな気持ちを向けている時でさえ、保持できるようになれば――幼児の対象表象世界はかなり安定する。』





5.自己愛パーソナリティ障害スぺクトラム(G.Adler  境界例は、発達的にみて、自己愛パーソナリティ障害と関連している。すなわち、境界例の患者は、治療が進むと、診断的に、自己愛パーソナリティ障害様の機能や能力を獲得する場合がある」とAdlerは主張する。
 境界例と自己愛パーソナリティ障害が連続的なもの、つまりスぺクトラムであると考えるAdlerは、病理の深さを計る指標として、(1)自己の融和性、(2)自己対象転移の安定性、および(3)成熟した孤独mature alonenessをあげている。

 (1)自己の融和性自己パーソナリティ障害患者の自己は、ある程度の融和性を獲得してはいるものの、非現実感、情緒的倦怠感、空虚感、イニシャティブ欠落感などの臨床症状として観察される『自己の断片』を、容易に起こしてくる。その断片化がどれくらい簡単に起こるか、そして、どの程度まで進むかによって、自己愛パーソナリティ障害から境界例にいたるスぺクトラムを成す。 (2)自己対象転移の安定性 分析場面における自己対象転移(鏡転移および理想化転移)の展開を、Kohutは、自己愛パーソナリティ障害の診断の絶対条件と考えた。 自己対象は、すでに説明したように、『自分の一部として体験される対象』と定義される。それが分かりにくければ次のようにいってもいい。「自己対象は、自己に欠けている機能(たとえば緊張緩和・自己評価調節)を補足するものとして体験される対象であり、それを人格特性は無視される」。

 人はだれでも、一生涯を通じ、何らかの形で自己対象を必要とし、希求する。その変遷の記録(病歴)は、分析場面における自己対象転移の展開を待たずとも、ある程度自己対象転移の安定性について語ってくれる。言うまでもなくその安定性は、自己愛パーソナリティ障害で高く、境界例では低い。
 (3)成熟した孤独mature aloneness
成熟した人の孤独は、楽しめるものでさえあるのに対し、境界例の孤独は、空虚感、絶望、自暴自棄によって特徴づけられ、その内的体験は、次のような特性を持っているとAdlerは考える。a)過去から現在にいたる生活の中で、自分を抱えて(ホールドして)くれた人々のイメージや記憶が、全面的に奪略され、空想の中ですら再現できない、という感じ。b)そうした人々の、破壊的で、怒り狂ったイメージばかりが思い出される。c)自分の中の怒りが、過去から現在にいたる生活の中で重要であった人々のポジティブなイメージを、自ら進んで破壊している、と体験される。

 こうした境界例の孤独を説明するのにAdlerは、喚起記憶evocative memoryの役割を目の前にした時のみ呼び起こされる認知記憶に対し、喚起記憶は、外的な対象なくしても、その対象表象を心的内界に喚起することができる。幼児が20ヵ月ぐらい(再接近期)から、母を離れて自分の世界を探索し始めるとき、この喚起記憶がある程度育っていることが前提となる。
 この喚起記憶が正常に発達し、心的内界の対象が恒常性を持ち始めれば――つまり、対象に向けられ、ポジティブな気持ちを、対象なしに、もっと言えば、対象にネガティブな気持ちを向けている時でさえ、保持できるようになれば――幼児の対象表象世界はかなり安定する。
 自己愛パーソナリティ障害・境界例スぺクトラムにおいて、喚起記憶は、境界例に近づくほど脆弱である。