うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

まりちゃん、かっき〜と、【そうした無意識的な原理は、日常生活、あるいは治療場面において、「自分でも知らないうちに」ついついずるずると相手のニーズを優先する結果を生み、「自分は利用されているだけだ。私は奴隷ではない」といった訴えに結びついてくる。】




今日は、自分は、早番と遅番でした。
一仕事終え、皆さんと過ごしていたら、おっちゃん組は、自然と音楽になりました。
今夜は、まりちゃんが大活躍!
まりちゃんが皆さんをまとめていました。
 おっちゃんは、相変わらず、怪しいアフリカのリズム(笑)で、陰でサポートさせて頂きました(笑)


 まさくんは、相変わらず、かっき〜ですね!
この後、おっちゃんのロカビリーギターで盛り上がりました!

 夜勤者も、大人しい方々を、ダンスに誘ってくれていました。自分がギターやウクレレを弾いている時に、写真が撮れないのが残念です(笑)皆さんのダンスを写してもらえば良かったですね!


 こちらは昨夜のものです!
ピーピー鳴るチキンの人形を、テーブルの上に置いてみたら、一番先に鳴らしたのは、まーちゃんでした!
 みなさんに向け、ぴーぴー鳴らして、笑いをとっていました(笑)可愛いですね!


 昨日のバンドの利恵さんも可愛いですね!
H,S,サリヴァンが言っていたように、障がいが無ければ、その方の人格はどのようなものであったか?を引き出させて頂くのも、自分たちの仕事のように思っています。






 本は、早番でしたが5時台に家を出て、6時過ぎまでファミマで本を読みました。
まだ、もう一つ先の本ですが、下記が、一番重要なところでは?と思いながら、読んでいました。

 先程、重度の方が、入眠されるのを確認してから帰宅しました。



 現場での支援、自分のやり方を説明しようとしても、夜勤をしていなかったり(特に、重度の方の夜勤を)、色々な流れを見ていなくて、最近のSNSのように、一部だけを切り取って、そこだけで判断されてしまうと、きつい人間だ!とか、甘すぎるだとか......。言われたり、そんな目で見られたりしますが(笑)、それでも(主観的すぎるのかも知れませんが)その方に一番合った支援方法を考えて、on goingで行っていかないとならないので、自分は何と思われても、それがその方の益になるのなら、それを選択して支援をしるしかないと思われます。
 時には毅然とした態度をとらなければ、その方が、違う方向に向かって行く時も多いので、舵取りでそのようにしていきますが、重度、とりわけ、深い所で(主体が全く見つけられない)分裂してしまっておられる方は、特に間違いの層が厚くならないように、してあげないといけませんが、それに気づくのも、日々の観察(24時間通して、週・月・年を通じて)をきちんとしていないと気づくことができません。

 何か、逸脱しましたが(笑)

『例えば前者の場合、そうした無意識的な原理は、日常生活、あるいは治療場面において、「自分でも知らないうちに」ついついずるずると相手のニーズを優先する結果を生み、「自分は利用されているだけだ。私は奴隷ではない」といった訴えに結びついてくる。』こちらは、非常に分かり易い例ですね!現場でも、送迎に関わっていない職員がでしゃばって、送迎表をいじっていたり、料理をほとんどしないのに、調味料などの在庫に口を出している職員がいますが、その方と自分以外は、大人なので(笑)特に何も言わないし、揉めたくないという風潮がこの地にはあるように思われます。自分がまだまだ人間が出来ていないのでしょうね(笑)





3)オーガナイジング・プリンシプルorganizing principles オーガナイジングとは、あることをまとめたり、まとまりのあるものにすることを言い、プリンシプルは原理を意味する。したがって両方を合わせれば、「まとめる際の原則」、つまり、自分の体験をパターンとして了解しテーマとして意味づけする際、無意識的に適用する準拠枠を意味する。「親密な関係になると自分のニーズは後回しになる」、「自分を出せば必ず嫌われる」などは、葛藤の背後に潜むオーガナイジング・プリンシプルとして良く引き合いに出される例である。例えば前者の場合、そうした無意識的な原理は、日常生活、あるいは治療場面において、「自分でも知らないうちに」ついついずるずると相手のニーズを優先する結果を生み、「自分は利用されているだけだ。私は奴隷ではない」といった訴えに結びついてくる。また、「自分を出せば必ず嫌われる」というオーガナイジング・プリンシプルの場合なら、自分の気持ちを伝えた直後に恋人に振られた体験を、「人に好かれようと思えば自分を殺すことだ」という意味して了解し、「今までいつもそうだったし、今回もそう。これから先も気をつけなくては」と、そこに人生の繰り返しパターン、テーマを見いだすことになる。 間主観的アプローチは、こうしたオーガナイジング・プリンシプルが治療場面で展開するよう助け、それを解明し、それを言葉化articulateして伝えることにより、患者のそれまでのオーガナイジング・プリンシプルが変化し、新しいオーガナイジング・プリンシプルが展開するのを促進するプロセスである。 ここで重要なのは、古典的精神分析理論が神経症的「歪曲」を主張するに対し、間主観的アプローチは、葛藤の根底にあるオーガナイジング・プリンシプルを、患者の主観から見た場合、「傷つきの繰り返しから自分を守ろうとする健全な防衛」であると考えることである。そのオーガナイジング・プリンシプルは、それがいかに現実の歪曲に見えようと、内的欲動やファンタジーの産物ではなく、発達途上における実際の自己体験の産物であり、当時のコンテストにおいて、「受け止め方の妥当性」を持ち、適応的だったのである。その意味で、オーガナイジング・プリンシプルの変化は、古典的精神分析が目指す「性格構造の変化」という大修理であると考えるより、微妙な変化がもたらす大きな変化であると考える方がぴったり来る。〜