うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ハウリン・ウルフと、支援中に考えたことと、【なぜなら、母親は段々、少しずつ工夫を加えて真似したり(Kaye 1979;Uzgiris 1984)、あるいは発声の仕方をそのつど少しずつ変えるなどして、返事のたびに少しずつ違うテーマとバリエーションを与えるからです(Stern 1977)。】


昨日の夜勤前と今日の夜勤明けで、給与計算ができましたが、年末調整で還付のある方がおられたので、一度閉めていたのを、その分だけ足し完成しました。明細書も書き換えました。源泉徴収票も出来てきて、計算が出来た時点で持って行きました。
 2日ともハウリン・ウルフを聴きながらやりました!
 いつも大変な仕事をして頂いている、職員の皆様には、本当に感謝しかありません。

 夕方、なりゆきで(笑)、3名の入浴介助をしてきて、戻ったら、下記のニュースがネットに出ていました。
2曲とも、バンドクラブでやっている曲なので、勝手に(笑)縁を感じました。

センバツ入場行進曲に「世界に一つだけの花」と「どんなときも。」 槙原敬之さん作詞作曲
1/9(水) 16:30配信  毎日新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190109-00000046-mai-base








 昨日の夜勤時、一人が支援者に話しにくると、皆さん集まって、ワイワイガヤガヤ(笑)。
その中で、マッサージ器をされたり、パズルをされたり、各自がその時にしたいことをされています。
 月曜日の名残りで、はと屋さんのメロディーでも、遊びました(笑)。
笑顔で一日が終え、自分が一番幸せでした!
 昨夜アップする予定が、なんやかんやしていたら、0時を過ぎてしまったので、諦めました(笑)。




 下記は、先日、重度の自閉の方を支援(入眠までもっていく)をさせて頂いている時に、頭を過ぎった物です。ぼーっとしながらも色々考えていました。口ずさまれているメロディーにドミナントが出て来なくて、トニックとサブドミナントを行ったり来たりとか、イヤーマフをされながらメロディーを口ずさまれているので、イヤホンをした時みたいに、自分の世界に入り込んでしまうのかな?とか、音叉を咥えてギターのチューニングをするみたいに、そのメロディーが頭蓋骨に共鳴するのかな、とか色々考えが出て来ました。
 やはりイヤーマフを外した方が、相互交流ができて、おやすみなさいとか、みんな寝ましたよ!とか顔を見ながら(自閉症の方でも顔を見ながら話すことができる方はいます)それこそ、スターンの理論のように話すことの大事さを肌に感じたり、沢山の学びをくれました。


 支援者に成功体験がないと、利用者さんにも、成功体験を与えることは難しいのか?
 ウィニコットの言う、一人で居れる能力(個人的な見解では、一人で何かをしたり、考えたり出来ることも含んでいると思われる)をつけてあげるのは、本当に大事なことだと思われます。精神科医や臨床心理学の教科書の冒頭に必ず出てくるのは、決して共依存になってはいけないと書いてあると、中野信子さんが言っていましたが、支援者だけでなく、親子でも障害の有無関係なく、共依存になっていることが、多い感じがします。重度の方でも、一人で居れる能力をお持ちの方は居れるし、共依存になっていない関係もあります。障害がなくても、一人で居れる能力がない方も居られのも事実で、そこには共依存が必ず存在しています。




 と言う事で、スターンの一節を思い出したので、またまたスターンに戻りました。
重度の方に、安心・安全感を感じて頂くのには、下記の様な所から入って行くしか、今の自分には出来ません。
 バリントの基底欠損水準という考え方をとれば、逆に下記の様な支援に行きつくのかも知れませんが......。
 取り敢えず一緒に横になって、眠ったふりをするのが、一番理解して頂けます。何人かそのやり方で、時間をかけて一人で眠ることが出来た方がおられるのも事実です。少しずつ離れていければ、大丈夫です!
 興奮が収まらない方には、徐々に一緒に動作をゆっくりにして行けば、落ち着かれます。




 〜Papousekらはこの過程に関し、発声――実際には音楽――の領域で詳細に記載しました(1981)。これらの記載を読んで驚くのは、ほとんどいつもといってよいほど、母親が乳児と同じ知覚様式内で働きかけているということです。対話に変化を与えるよう、リードしたりされたり、何かに焦点を当てたり、あるいは手直ししたりして対話しながら、母親はその場の乳児の行動を、正確にあるいは大雑把に真似します。たとえば、乳児が声を出せば、母親も声を出してそれに答えます。同様にもし乳児がしかめ面をすれば、母親もしかめ面をしてみせます。そのくせ、母と子の対話は、月並で退屈な反復にはとどまりません。なぜなら、母親は段々、少しずつ工夫を加えて真似したり(Kaye 1979;Uzgiris 1984)、あるいは発声の仕方をそのつど少しずつ変えるなどして、返事のたびに少しずつ違うテーマとバリエーションを与えるからです(Stern 1977)。 

 ところが、乳児も生後9ヵ月近くになると母親が、それまでの模倣様の行動に加え、新たな次元で応えるのが観察されるようになります。この次元で乳児は間主観性をもち得るパートナーとして、今までとは違う立場におかれます(乳児にこうした変化が起こったことを母親がどうやって知るのかよくわかりませんが、どうもそれは親の本能的な直感のようです)。こうして、母親の行動は文字通りの模倣を越え、私たちが情動調律affect attunementと呼ぶ新しい行動カテゴリーへと発展し始めるのです。〜