うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ツバメの巣と、日本語臨床フォーラム 閉会のお知らせ【それどころか患者は最後に、理性と自身のリビドー的傾向を越えるものである限り、あらゆる情緒的絆から解き放たれねばなりません。そもそもそのような超自我の解体のみが根治をもたらすことができます。】


 先日、よく本を読ませて頂いているファミマに、ツバメの巣があるのに気が付きました。
凄いスピードで、餌を獲ってきて、また直ぐに獲りに行って、違う雛にあげるのでしょうか?
 よく鳴く雛が一番餌をもらえると聞いたことがあります。


 入会させて頂いたばかりの、日本語臨床フォーラムの閉会のお知らせが、メールにて来ていました。
精神分析の日本における大家たちの話を沢山お聴きできると思っていたのに残念です......。
 もう少し勉強したら、無理を言って、浜松での精神分析の勉強会に聴講だけでもいいので、参加させて頂きたいと思っています。


日本語臨床フォーラム 閉会のお知らせ****** このメールはBcc同報にてお送りしております ******

【日本語臨床フォーラム】事務局でございます

梅雨入りまえ... 日替わりの空模様となっていますが
皆さまにおかれましては お変わりなくお健やかにお過ごしでしょうか
2016年夏の《コンベンション》以来のご連絡となります
ご無沙汰をお許しください
さて 当フォーラムは
2011年に「日本語臨床研究会」を継いで発足し
北山修先生を主宰として 年次コンベンション軸に八年間にわたり 
「こころと言葉」「ひとと文化」を語りあう場として
ご好評を賜わって参りました

そのなかでコンベンションの成果が書籍になるなど
(『北山理論の発見』2015, 『週一サイコセラピー序説』2017)
出版も交えた展開も繰り広げられてきた処ではございますが

このたび 2018年9月をもちまして
閉会となりますことを お伝えする次第でございます

―― 「いまひと度の逢ふこともがな」
北山先生そして皆さまのご意志に後押しされての再会も
胸に誓いながら... まずは八年の幕が下りることになります

○ 本メールアカウント info@pfk.saloon.jp は
7月末日をもちまして閉じられます

○ ホームページ http://pfk.saloon.jp/index.html
7月末日をもちまして閉じられます

(ご登録いただきました個人情報につきましては,主宰:北山先生はじめのご意志で再開が期されるまでは責任もって凍結させて頂きます)

皆さまから賜わりました長年のご愛顧に 心からお礼を申し上げます
お世話になりました先生方には
本来でしたら拝顔のうえ あるいは書面にてご挨拶さしあげなくてはなりませんところ 略儀にて失礼ではございますがこのような同報メールにてご案内を差し上げます
これからも「こころ」と「ことば」の交点に豊かな対話が生まれてゆくことを切に念じておりますそして末筆ではございますが 皆さまのご清祥をお祈り申し上げます

///////////////////////////////////////

日本語臨床フォーラム事務局(創元社内)

TEL:06-6231-9090 FAX:06-6233-3111

mail:info@pfk.saloon.jp

(幹事: 津田敏之 tsuda@sogensha.com)

////////////////////////////////////////

日本語臨床フォーラムは、2018年9月をもちまして閉会となります。
長いあいだのご愛顧に心から感謝いたします

  「再会に胸を膨らませて...!」 主宰: 北山 修

  (当ホームページは2018年7月一杯で閉鎖されます)
  (お問合せは7月まで info@pfk.saloon.jp にて承ります)
http://pfk.saloon.jp/index.html


 今日は、休みでしたが、結構大変な夜勤明けになると思われたので、超早番(笑)でお手伝いに行かせて頂きました。
まあ、先日と同じで、しっかりされた支援員さんで尚且つ、早番さんが主任さんだったので逆に迷惑ではなかったでしょうか?
 本は、触る事もありませんでしたが......。

 午後からは、碧南から副理事長が来てくれ、報告をさせて頂きました。いつも心配してくれていて、助言も頂き本当にありがとうございます!





 アップは、少し分かりにくいかもしれませんが(脈絡を無視して抜粋しているので)、徹底操作について大事なことが書かれていると思いましたので上げてみました。



別の技法論文ですでに徹底操作には質的な側面もあり、分析の新たな進歩への一歩一歩のなかで、症状と性格の形成メカニズムの根気強い再構成が繰り返されねばならないと考えます。あらゆる新しい重要な洞察はそれまでの素材全体の点検を要求し、すでに完成済みと思われた構造の本質的な一片を壊すかもしれません。この質的な徹底操作が量的要因(感情放出)と間に正確な関連を見極めることは、おそらく個別例に添った技法の力学の課題になるでしょう。 ただし、点検作業のある特殊な形は、すべての症例で繰り返されるように思われます。それは、分析治療自体の中で起こる経験の点検です。分析は徐々にそれ自体が患者の生活史の一部となり、患者は、私たちに別れを告げる前に、もう一度それらを次々に思い出します。患者はこの点検の中で、私たちとの交際の始まりの経験と、それに続く当時は人生のかかった緊急のものに見えた抵抗と転移を、いまやある程度の距離からはるかに客観的に捉え、それによって彼の視線を分析から遠ざけ人生の現実課題の方向へ向け変えます。最後に、技法のメタ心理学についていくつかの見解を述べてみたいと思います。多くの場所で他の人に並んで私も指摘したことですが、治療過程の大部分は、患者が分析家(新しい父親)を、彼の超自我のなかであまりにも大きな場所を占領してきた本当の父親の位置に置き、今からはこの分析的超自我とともに生きていくことにあります。しかし過程があらゆる症例で実際に生じることを否定しませんし、こうした代理が大きな治療成果をもたらしうることも認めますが、真の性格分析は、あらゆる種類の超自我を、ということは分析家のそれをも、すくなくとも一時的に排除せねばならないことを付け加えたいと思います。それどころか患者は最後に、理性と自身のリビドー的傾向を越えるものである限り、あらゆる情緒的絆から解き放たれねばなりません。そもそもそのような超自我の解体のみが根治をもたらすことができます。ある超自我を他の超自我で代理するという成果は、まだ転移による成果と言わねばなりません。確かにそれは、転移をも振り払うという治療の最終目標を成し遂げていません。 これまで手付かずであった問題の一つとして、分析中の分析家が心的過程について想定されるメタ心理学に注意を促しておきます。分析家の備給は、一方の同一化(分析の対象愛)、他方の自己コントロールないし知的活動との間をあちらこちらへと行き来します。長い一日の仕事の間に分析家が自身の自己愛や自己中心主義の自由な発露による楽しみに没頭できることは現実にはなく、空想の中でつかの間あるにすぎません。それ以外の生活ではほとんど発生しないこのような過剰負担が、分析家向けの特別な精神衛生法を早晩要求するであろうことを私は疑いません。分析を受けていない(乱暴な)分析家や完治していない患者が、ある種の「分析強迫」を患っていることを見て取るのは容易です。それに対して、終結した分析の後のリビドーの自由な可動性によって、必要なときに分析的な自己理解や自己統制を働かせて、それ以外で素朴な人生の楽しみを少しも妨げないことが可能になります。終結した分析の理想的結果はですから、まさに技法が精神科医にも求めるあの柔軟性にほかなりません。おそらく、「精神分析の第二原則」の絶対的必要性を支持するもう一つの論拠です。〜