明けましておめでとうございます。と、【それは、内的現実と外的現実とを接て、患者に、彼が恐れているその段階に到達させるためには、分析者は、自我としての働きを最大にし、対象としての働きを最小にしなければなりません。】
本年も、相変わらずの、ご指導、ご協力のほど、宜しくお願い致します。
二枚目の写真は、新幹線の中の広告ですが、自分の今年のスローガンにしたいと思い、写しました(笑)
皆さんと笑って、一年間過ごすことができるように、運営の方を頑張らせて頂きたいと思います。
昨夜は、歌舞伎町のあまりにもの賑わいで、路上にギター🎸を持ち出す勇気が出ず(笑)ホテルで、浅草キッド、おっちゃんバージョンを弾いてから寝ました。
本は、早朝に目が覚めてしまい、ホテルの炭酸の温泉に(小さい大浴場w)入ってから、読みました。
ギター🎸も、本📖も元日から始めることができたので、きっと、ギターと本の一年になると思われます(笑)
アートの方は、路上で見た素敵なものを沢山写したので、肥やしになりました(笑)
〜発語は、幼児語や擬音語だけでなくは非常に原初的な音や、口唇の動きにまで遡らなければなりません。そこから、他の動きや、身体活動に到達できるのですが、それは、内的現実と外的現実とを接触させるためであり、具象的、魔術的思考から、代理物や象徴化の受容へ、という変化を援助するためです。
転移効果がないことがはっきりしたので、患者を現実と接触させるための方法を発見し、用いなければなりませんーーその方法は、神経症の分析治療から踏み出すものですが。前言語的で身体的な段階に到達するためには、そして、患者に、彼が恐れているその段階に到達させるためには、分析者は、自我としての働きを最大にし、対象としての働きを最小にしなければなりません。分析者は、結局は、自分自身を用いるしかないのです。というのは、外的世界からの援助は少ないし、それを分析者と結びつけなければならないからです。ーーつまるところ心的には、そうした援助は、分析者から来るしかないわけです。
分析者自身の本能衝動は、できるだけ、十分かつ、直接的に、用いられなければなりません。非常に原初的な情動が、突然、分析者に生じて、分析者は、しばしばに意識的に考える間もなく、話したり、行動します。分析者の自己分析が十分で、昇華の段階にまでが至ったならば、つまり分析者が成熟し、自らの限界を知っていて、患者にもたれかかっていることがないならば、つまり、患者を利用していないならば、そうしたときの危険性は、当然な程度にとまります。専ら、患者の病気の重篤さによるわけです。
分析者は、ときには、身体活動をしたり、行動しなければなりません。例えば、興奮している破壊的な患者を取り押さえる、などです。分析者は、自らの感情を素直に表出しなければならないこともあります。それは、分析状況についての真実を患者に伝える、唯一の方法だからです。患者にとって、言葉は、その真実を伝えられないし、分析治療室や通常の分析技法に含まれている個人的ではない、直接的ではない「サイン」からは、患者は推論できのです。どんなことも患者に入らず、その瞬間やその時に分析者が感じていることを、直接表出することだけが、患者に入るときがあります。そのとき、そうした表出は、すぐに深い効果をあげます。ーーまさしくそれが意味があるからです。
こうしたことーー感情と動きーーを介し、患者は、自分自身が独立した人間であり、他の人との類似性もあるが、差違もあること、に気づくようになります。それは、自分の分析者が、他の人と似てはいるが違ってもいることでもあります。しかし、分析者が、自分の感情を正直に表出したとき、患者が、それは真実だ、と明確に認識するのは、分析者の感情表出が突然生じたものだということが分かり、自分の感情と分析者の感情が異なることを体験し、誰が、何を、感じているのか、が分かり、そして、治療関係が、予想とは違って、壊されないこと、が、分かるときです。
わたくしは、妄想的転移の分析技法の問題に、ちょっと触れただけです。通常の解釈技法が、分析治療の主要部分を形成しています。ですから、それに取って代わったり、置き換えたりできるわけではありません。わたくしが示唆したような形で、補足することができるにすぎません。それは、自我に、解釈を受け入れやすくさせるためです。この技法は、柔軟である必要があり、想像力を自在に用いるのです(柔軟性とは、いいかげんさの意味ではありません、硬さが強さを意味しないことと同じです)。分析治療の基本原則は守られなければなりませんし、積極的に、いつまでも。