うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【解釈は、妄想に何の影響も与えません。影響を与えうる唯一のことは、現実を呈示することです。】

 


 今日は、クリスマス・イブ!
皆さんで、蔵王山の展望台に行って、渥美半島を眺めたり、


 プロジェクション・マッピングで遊んできました!

 階段昇降もしました!
帰ってから、小さなケーキを食べました。


 そしたら、たかちゃんのご家族が、ドーナツとリンゴの差し入れを持って来てくださいました。
火曜日が菓子パンの日なので、火曜日に食べるとのことでした(笑)我慢できるのかな?




 お昼は、体調を崩されて(用心の為w)いる方がいたので、遠出は遠慮して、近くのマックに行きました。
最初は、ラーメンと餃子とか、スシローとか、色々な意見が出ていましたが........。
 今日も何事もなく終われたこと、皆様に感謝しています。



 本は、早めに出て、いつものルーチンのファミマで読みましたが、きりがつきそうな時に、親分が現れたので(笑)仕事の話になり、帰宅してからきりが良い所まで読みました。
 今回の箇所も、真剣に臨床(現場)をしているので分ったり感じたりできることだと思われます。しかし、世の中、口が上手い奴だけ、浮かばれる(笑)実力が無くても(笑)



〜人は、いつも自分自身の疑問に入れたすぐに答えられるとは限りません。ときには、答えが間違いだと分かることもあります。ときには、そのときには、その答えが正しいと感じたんだとか、何かを言わなければならないのに、言える唯一のことがそれだったんだとか、しか答えが見つからないこともあります。その後に生じる出来事が、たいてい、答えが正しかったのか、そうでなかったのかを明らかにします。そして、分析者が通常行うこととは違うことをしてしまったのに、分析が進行していることが分かる場合は、分析者自身の無意識過程への信頼が、大きくなっていくのです。分析者の逆抵抗は、これまでより崩れ易くなるようです。そして分析の仕事は、しばしばこれまでより高い緊張状態のもとで進行し、そして、これまでのも増大した分析者の自発性は、患者に自分の固さや常同性を崩すのを、援助するようになります。 主な困難は、予測不可能が常になるということです。これは、すべてのことが統制不能になるという意味ではありません。しばしば患者にはそのように感じられるのですが、むしろ色々なことが生じる可能性のある状態、という意味です。危険なのは、無論、未知の要因が現れて、患者あるいは分析者に、突然「突発行為」が生じるかもしれないということです。このこともまた、どの分析でも生じうることで、生じたときには、取り扱わなければなりません。 わたくしが報告した、一患者の分析は、圧縮して述べなければなりませんでしたので、非常に誤解されたかもしれません。わたくしが示した技法上の種々の変法が、いつもうまくいくとは限りません。うまくいったときには、その効果は、あらゆる正しい解釈のもたらす効果と、まさに同じようなものです。最初は拒否され、後で受け入れられることもあり、すぐに受け入れられることもあります。すぐには何の効果も見られないこともあり、後になっていますある程度の効果が見られることもあります。うまくいかないときには、これも通常の解釈の場合と同じですが、何かが起きるかもしれませんし、起きないかもしれません。そして、通常の解釈と同じく、タイミングが合って、適切なものならば、その効果はよいものです。もしそうでなければ、結果は悪いし、他のすべての誤りと同じく、誤りですが、Friedaの分析では、わたくしの例示した技法は、成功し、誤っていませんでした。それらは好運でも、まぐれ当たりでもありません。わたくしは、他の多くの分析でも、同じことを経験し、同じ結果を得ています。

そうした技法の目的は、きわめて明らかですし、限定されています。それは、妄想性転移を解体させることで、患者の自我を、転移解釈に近づきやすくさせるのです。


解釈は、妄想に何の影響も与えません。影響を与えうる唯一のことは、現実を呈示することです。夢から目覚めさせること、に比べられるような方法です。それは、文字どおり真実だと信じられてきたことが、真実ではないことに気づくことです。真実とは何か、に直面することによってです。このことは、通常の解釈が不要だというのではありませんし、解釈に取って替わるわけでもありません。すべての抵抗を取り除くわけでもありません。通常の解釈の仕事は、わたくしが記述したように、エピソードの前でも、その間も、後でも用いられなければなりませんし、いまでも分析の主要な部分です。もしそれがなければ、こうした他の技法は無益でしょう。しかし、転移自体が妄想的な性質のものである場合には、こうした技法だけが、転移解釈を意味あるものにし、使用できるものにするのです。なぜなら、こうした技法によって、解釈の背後に、一人の人間が見いだされるからです。