うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【いわゆる終わりなき分析を採用すれば、患者は遅かれ早かれ私たちの忍耐が患者のものより大きいと得心し、そのことがついには最後の抵抗を患者に断念させるのです。】




 今日の日中も、賑やかだったので、2班に分かれました。
おっちゃん班は、マックがいい!と言う方と、かつさとがいい!と言う方がいたので、ドンキホーテのフードコートに行きました。
 しかし、結局、皆さんマックでした。


 食後は、まり子さんに皆さん付き合って、店内のウィンドショッピング!
一番楽しんでいたのは、利恵さんでした!


 豊橋の送迎があったので、一度戻ってから、送迎に向かいました。
戻って来てから、かおちゃんと歌をうたいながら散歩して、紅茶とお菓子を買いに行きました。


 今日も何事もなく過ごせたのも、みなさまのご協力のお蔭です。特に管理者が、休日なのに応援に入ってくれたのが、一番大きかったと思われます。ありがとうございました!今日の夜勤さんもうたたねで一番信用のある方なので、早く寝させて頂きます!



 今日も、本が読めませんでした(笑)が、貯金がまだまだあるので(笑)余裕です!
大事なことが沢山書かれていますので、おかしな解釈が入らない方がいいと思います。(笑)




いわゆる終わりなき分析を採用すれば、患者は遅かれ早かれ私たちの忍耐が患者のものより大きいと得心し、そのことがついには最後の抵抗を患者に断念させるのです。
 このような機会を利用して、積極性について広く流布しているらしい特にひどい誤解を指摘しておきます。フロイトもそして私も必ず、思いついたことを報告するだけでなく時には他の課題も果たさなければならないという意味でのみ「積極的」という言葉を用いて来ました。それは、医師の仕事が解明と課題投与の範囲を何らかの仕方で越えてよいということでは決してありませんでした。つまり分析家は依然として非積極的であり、患者に特定の行為を促してよいのは時折にしかすぎません。おそらくこれによってすでに、積極的分析家と暗示療法家および催眠術療法家との違いも十二分に示されています。第二のさらに重要な違いは、暗示においては指示の投与と実行がすべてであるのに対し、分析においてそれらは新たな素材を掘り起こすための補助主題として用いられるだけで、依然として素材の解釈が分析の中心課題であり続けることです。私の積極性に期待されている分離と言った作業方向についての偏向した物言いもこれによってすべて片がつきます。他方で、積極性は正しく用いられる限り何も新しいことを意味しないという主張がもしなされるようであれば、少々行き過ぎと言わねばなりません。そのように言う人は、いわば教皇以上の教皇派です。フロイトにしても、反復要因を特に重視することと、機会をみてそれを誘発しようと試みることに、ニュアンスの違いを見出だしているのですから。