うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

季節は秋に向かっています、【しかし神経症患者は、とりわけ分析においては、みな子どものようなところを何か持っており、実際的には、あまりにも激しい転移を控えめな態度で冷ましたり、特に人を寄せ付けない患者に、親しみ深く接したりして、こうした手段で、望まれる医師と患者の関係に必要な「適温」に戻って必要があります。】



 今日は、休みでしたが、県と法務局に出す書類を仕上げました。印刷するために事務所に自転車で2往復していたら、近所の柿木と、甘夏の木に小さな実がなっていました。今日も暑く、自転車で走ると、汗が沢山出ましたが、季節は秋に向かっているんだなぁと、思ってしまいました(笑)気が早いですね(笑)





 バリントを、無理やり(笑)やめて、フェレンツィに入りました。
バリント先生は、鋭さを感じましたが、訳者のせいもあるのか?フェレンツィは鋭さの中にも、やさしさを感じています。下記の表現などは、本当にそれを感じました。

『こうした手段で、望まれる医師と患者の関係に必要な「適温」に戻って必要があります。』

 色々と、思う事もありますが、明日は、早番と遅番の中抜け勤務なので、早く寝ます(笑)
この本も、初学者には、新しい発見だらけです!




精神分析への最後の貢献フェレンツィ後期著作集ー森 茂起・大塚紳一郎・長野真奈 訳
精神分析における「積極技法」のさらなる拡張 (一九二一)

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 〜これまで扱ってきた症例では医師の積極性は、患者に特定の行動策を処方すること、すなわち患者の振る舞いを通じて治療における積極的援助へと患者を移動させることにありました。これから原則的に区別されるのは、はたして医師は、患者に対する自分自身の振る舞いによって治療を促進させてよいのかどうかという問いです。患者を積極性へと押しやることで、私たちは本来、いまだ抑圧されているものの自己教育への手引きを提供します。ここで問題は、私たち分析家が教育的なその他の補助手段も用いてよいのかです。その最も重要な要素として賞賛と叱責を挙げることができます。 フロイトは折りにふれて、子どもの場合、分析的再教育を目下の教育課題から切り離すことはできないと述べました。しかし神経症患者は、とりわけ分析においては、みな子どものようなところを何か持っており、実際的には、あまりにも激しい転移を控えめな態度で冷ましたり、特に人を寄せ付けない患者に、親しみ深く接したりして、こうした手段で、望まれる医師と患者の関係に必要な「適温」に戻って必要があります。しかし医師は患者が持っておれない、あるいは持ってはいけない期待を決して患者に引き起こしてはなりません。医師は、発するすべての発言の誠実さを最後まで保証せねばならないからできます。ただ完全な誠実さの枠内にも、患者に対して戦略的な処置を行う余地が若干ありますが、ひとたびあの「適温」に達したならば、当然それ以上こうした関係にかかわらず、できるだけ早く分析の中心課題、すなわち無意識と幼児性の探求に取り組むことができる。