うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、関西の事件と、【私が最終的に得た結論は、分析家の願望、性向、気分、好感や反感などに対する研ぎ澄まされた感覚を患者がもっているに違いないというものです。】



 今日の日中は、時間差で賑やかでした。
自分は休みでしたが、送迎者がまだ不調なので、朝と夕方の送迎に出たり、送迎シフトを直したりしていました。
 少し時間が空いたので、シフトの見直しをしていました。
その間、一瞬(笑)だけうたたね茶会をしました。入浴中の方もおられましたが、送迎の時間になったので、その方のお薄を点ててから赤羽根や渥美の送迎に向かいました!



 早朝から送迎があり、早い朝食を食べながら、ネットのニュースを見ていたら、障がい者施設のニュースが2つあり、昨日読んでいた個所に、そうならないための心構えみたいな個所があったので、ニュースの後にアップしました。
 ニュースをお読みいただいてから、フェレンツィを読んで頂ければ、よく分かっていただけると思われます。

 貯金を置いておいて(笑)今朝、打ち込んだもののアップです。



障害者施設の職員逮捕 入所者を暴行死の疑い
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180616-00010000-asahibcv-l27&pos=2

「逃げないように」寮長が生徒に2時間馬乗り説教 兵庫の自立支援施設
https://rdsig.yahoo.co.jp/_ylt=A7YWPhPp4iRb7RcA.N0y4TMj/RV=2/RE=1529230441/RH=cmRzaWcueWFob28uY28uanA-/RB=qSyAhfJ4pCEwFKepinR4BpFBdp4-/RU=aHR0cHM6Ly9oZWFkbGluZXMueWFob28uY28uanAvaGw_YT0yMDE4MDYxNi0wMDAwMDAxMC1rb2JlbmV4dC1sMjgA/RK=0/RS=JfnlYYUWol2OtsvosiW6WqtrrFs-








 下記は、いつも自分が、周囲に漏らしている、障がいをお持ちの方々を舐めたらあかん。ということだと思われます。上から見下す方が多いので。
『私が最終的に得た結論は、分析家の願望、性向、気分、好感や反感などに対する研ぎ澄まされた感覚を患者がもっているに違いないというものです。たとえそういった感情に分析家自身まるで気づいていなくてもです。』


 現場では、ついつい楽をしようとか、昔のことばかり(フォーマルな情報ばかり)知ればいいやと思いがちですが、本当に大事なのは、今ここで起きている現象だと、改めて気を引き締めてくれる個所です。 
『患者の連想から察知しなければならないのは不快に満ちた過去の事柄だけではありません。抑圧されたり押し込められたりしている分析家への批判を今まで以上に察知しなければなりません。』


 下記は、現場では、利用者さんたちに、心無い言動を浴びさせられて、逆転移を抑えられなくなる時がありますが、それに何とか耐えろ!と言われている気がします。
『内的、外的の両方にわたる自らの不快な特質をすべて知ることで、患者の連想に隠された憎しみと軽蔑の中身がたとえ何であれ直面する心の準備をしておかねばなりません。』


 下記は、こちらもいつも自分が周囲に言っている、表面だけのやさしさ・おもいやりは全て利用者さんたちはお見通しだ!ということを言っていると思われます。
『患者が抑圧している批判は、その大部分が、職業的偽善と呼ぶことのできるものに関係しています。』



 下記の2つは、上記にあった、耐えろという次におこなうことを教えてくれています。サリヴァンでさえ、何回も何回も同じことを言う患者さんにキレて、そんな話しは何度も聞いた!と直接患者さんに言っています。暴言暴力は勿論いけませんが、勢いが非常にある方には、同等の勢いで、言動を止めないといけない時もありますし、そうする事で、その方が現実に戻ることができて、基底欠損水準から、少しだけエディプス水準に近づけることがあります。
『そんなときには、障害の原因を私たち自身のなかに探し当て、患者の前でそれを会話に乗せるほか出口があろうとは思えません。そうかもしれないと認めるだけではだめで、事実として認めるのです。』
『たとえ外傷的ヒステリー発作に襲われるとしても、ずっと和らいだものになって、同時に過去の悲劇的出来事が思考のなかで再生できるようになり、再生によって心的平衡が再び失われることがありません。患者の人格水準が全体的な高まったようにさえ見えます。』


 色々と仕事が湧いて出る日々ですが、職員によって感じ方が違うようで、常勤換算は、当施設は余裕でクリア(ショートステイの支援区分を定員全て6で計算しているので、余裕があります)していますが、ぎりぎりの配置でと思う職員がいたり、別に大変だと思わない職員がいたりです。どちらが良くてどちらが良いとかは言うつもりはありませんが、両ニュースのコメント欄を見させて頂くと、両方の職員の気持ちを代弁しているコメントが沢山ありました。上司がそれにいち早く気づいて、手当てをしていかないとそうなってしまうのなら、ぎりぎりで....と言っている職員の仕事量を考えないといけないと思い、直ぐに動きますが、それに対しても賛否両論が出ます。しかし、取り返しがつかなくなる前に、自分は動きます。自分が何か言うと、西田物指しだとか、あんたはできるから......とか、自分的には傷つくような言葉を職員たちからかけられますが(笑)、トヨタさんの改善ではありませんが、改善していくしかないですよね。
 勿論、自分もそうですが、自分の実力・能力以上のものが来た時には、何かしら目には見えないものに圧倒されるのでしょう。
案ずるより産むが易し、なのですが、中々それも分かっていながらできないのも、人間なのかも知れませんね.......。
 大変な方をお預かりして、夜勤帯いくら大変でも、いつかは朝が来ます。本当に大変なら、他の職員に助けてもらうということも、何も恥ずかしいことでもありません。誰でもできないこと、知らないことは沢山あるという前提で、また、自己否定をまずはしてから、仕事(福祉だけでなく)に入って行かなければ、何も始まらないし、何も解決しません。一人では、施設は運営できません!






大人と子どもの間の言葉の混乱――やさしさの言葉と情熱の言葉 (一九三三)
 私が最終的に得た結論は、分析家の願望、性向、気分、好感や反感などに対する研ぎ澄まされた感覚を患者がもっているに違いないというものです。たとえそういった感情に分析家自身まるで気づいていなくてもです。ヒステリー様の興奮を起こした例外的瞬間的にだけ、ということはほとんど無意識状態になってやっと反抗に立ちあがります。通常は、分析家が特別に許したりあからさまに批判を奨励したりしないかぎり、私たちを批判することを自らに許しませんし、それどころか批判などついぞ思いつきもしません。患者の連想から察知しなければならないのは不快に満ちた過去の事柄だけではありません。抑圧されたり押し込められたりしている分析家への批判を今まで以上に察知しなければなりません。 私たちはそのとき少なからず抵抗にぶつかりますが今度は患者へのなかの抵抗ではなく私たちのなかの抵抗です。まず先に私たち分析家が十分すぎるぐらい「徹底的に」分析を受けておくことが必要です。内的、外的の両方にわたる自らの不快な特質をすべて知ることで、患者の連想に隠された憎しみと軽蔑の中身がたとえ何であれ直面する心の準備をしておかねばなりません。



 患者が抑圧している批判は、その大部分が、職業的偽善と呼ぶことのできるものに関係しています。患者が部屋に入ってくると、私たちはれいぎ正しく挨拶して、重要連想を始めて下さいと求めながら、患者の言葉に心から耳を傾け、持てるかぎりの関心を患者の回復と謎の解明という仕事に捧げることを約束します。しかし実際は、患者の外的なあるいは内的な特徴の何かに我慢できなくなることもあります。大切な仕事上の事柄あるいは個人的な事柄は内心引っかかっており、面接時間中ずっといやな気分に悩まされることもあります。そんなときには、障害の原因を私たち自身のなかに探し当て、患者の前でそれを会話に乗せるほか出口があろうとは思えません。そうかもしれないと認めるだけではだめで、事実として認めるのです。 今まで避けがたいと思われてきた「職業的偽善」をこのように放棄しても患者を傷つけることがなく、顕著な安堵感をもたらすことは注目に値します。たとえ外傷的ヒステリー発作に襲われるとしても、ずっと和らいだものになって、同時に過去の悲劇的出来事が思考のなかで再生できるようになり、再生によって心的平衡が再び失われることがありません。患者の人格水準が全体的な高まったようにさえ見えます。〜