うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

描かれなかった画題と、【世界認識への苦痛に満ちた最初の一歩は、おそらく、「良い物」の一部は自我に属さず、「外界」として自我から分離されていることの洞察であろう。(母の乳房)。】


 こちらの写真は、昨日のアトリエ・カーグで描かれなかった画題です。
描いて欲しいと思っていた方が欠席されたので、アトリエの片隅に追いやられてしまっていました。
 その後、バンドでやった、世界にひとつだけの花の歌詞と同じような感じがしました。

 今年は、利用者さんご本人の支援は勿論のこと、そのご家族の支援や今日は、看護師兼管理者が、職員の通院について行き、大事にならなくて済んだようです。脊椎狭窄症になってしまった職員がいました。主に送迎をして頂いていますが、重度の方の対応が良く、軽度の方にも、エディプスの壁になって下さっていたので、本当に心配しています。今日、夜勤だった看護師兼管理者も、一日仕事になっていました。
 ナイチンゲール誓詞というのがありますが、本当にその精神を実践されておられるので、ただただ感服するしかありません。
でも、あまり無理をして頂きなくないので、明日岡崎に行く前にい手伝いをしてから行こうと思っています。





 本は、昼食を頂きながら読みました。
明日も早いので(笑)早く寝ます(笑)





 〜不快の無視と不快の承認の間の否定段階をフロイトが発見したことで、私たちは、これらの発達段階とその前後関係を正しく理解し、おそらくはその全体像を単純化できると期待してよい。世界認識への苦痛に満ちた最初の一歩は、おそらく、「良い物」の一部は自我に属さず、「外界」として自我から分離されていることの洞察であろう。(母の乳房)。ほぼ同時に人は、自らの内部に、つまりいわば自我自体の中に、不快に満ちたもの、つまり悪が発生しうるのであって、幻覚によってもその他の方法によってもそれを捨て去ることができないことを経験しなければならない。その次の前進は、外からの完全な拒絶に耐えること、つまり、私たちにずっと断念しておかねばならないようなものが存在することの承認をである。それに伴う過程として、実現を断念して抑圧された願望を承認する過程がある。私たちがすでに知っているように、承認のためには一片のエロスが、つまり愛が欠かせず、愛は取り入れなしに、つまり同一化なしには考えられないものなので、環境の承認はそもそもある部分キリスト教の命令「汝の敵を愛せ」の実現を意味すると言わねばならない。(ただし、精神分析の欲動学説の承認に反対する抵抗は、克服されるべき極めて困難な課題は内的敵との和解であることを示している。)