うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

お腹の具合と、利恵さんのいないいないバァと、【つまり誠意に徹して扱う人の過ちに陥らない方策がなければならないのです。】


夕方、土日に実家に帰っておられた方の入浴介助をさせて頂いていたら、お腹の張り方が気になったので、うたたね看護師兼管理者に見て頂きましたら、右側の腸の動きは良くて、左側の動きが悪いとのことでした。
 触らせて頂くと、下降結腸に便が沢山ありましたので、軽くマッサージをさせて頂きました。
彼は、中々体を触らせてくれませんでしたが、入浴介助を、少しずつ介入して行き、段々体に触らせて頂けるようになりました。
何でも、誰でも少しずつやらせて頂ければ、何とかなるものです。


 今日は中抜け勤務で、早番と遅番をやらせて頂きました。
遅番では、ギターとウクレレとパーカッションの音が、凄いことになっていました(笑)が、その中で、利恵さんがいないいないバァをやっていると、親分が写真を写していました(笑)。可愛いですね!

 現場は本当に楽しいです!




 本は、早番からの帰りに休憩がてら、ファミマで読みましたが、アップは、まだフェレンツィです(笑)
フェレンツィは、最後の方は、何故か?自分に対して、反省しなければならない事ばかりになって来ています.......。
 今年は、自分にとって種を蒔く年で、自分の考えや思いを、きちんと伝えられるようになりなさいと、京都の方に言われ、今はきっとそのために本を読み漁っていると思われます。





〜しかし、あらゆる新しいことがそうであるように、非常に古い何ものか、私に言わせるならごくありきたりのものがここにもあるとすぐに気づきます。自由連想の中にすでにこの両原則が働いているのではないでしょうか。両原理は、一方で患者の不快な真実を認識することを強いますが、他方で、人生で他に手に入ることのない語りと感情表現の自由を許します。それどころか、精神分析が存在するずっと以前にも、子どもと大衆の教育が存在し、優しさと愛を許容するものと、不快に満ちた現実への適応のもとでつらい断念を要請するものがありました。


心を緩やかにしていただくために協調しておかねばなりませんが、フロイトの注意で勧められている通り、客観的で控えめな医師の観察が、依然として最も信頼でき、分析開始時には唯一正当な立場であり、最終的に、決して感情的契機ではなく、賢明な熟慮だけが適応な方策決定を下すことを許されます。私のささやかな試みは、今まで曖昧な表現で「心理的雰囲気」と呼ぶくらいしかなかったものを言葉でとらえようとすることに尽きます。というのも医師の冷静な客観性のために不要で回避可能な困難を患者に引き起こすような形になることがあるのも否定できないため、私たちの友好的で善意にあふれた態度を分析中に患者に分からせながら、それでも転移素材の分析を放棄したり、厳しくしたり愛を装ったりと神経症者を分析的にではなく扱う人、つまり誠意に徹して扱う人の過ちに陥らない方策がなければならないのです。