うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

朝のうたたねと、【素朴エゴイズムを最初に乱すものは母親が成長していく子どもから遠ざかるということである。】


 今日も、いつも通りの朝が来ました。そして明日もいつも通りの朝が来ます。
平凡や変わらない日常がどれだけ素敵なことだと、分かるのは、それをなくしてしまった時なのでしょうか?

 今日は、カタルシスの力を借りたかったので(笑)、尾崎豊の『I Love You』を、ヘビーロテーションで、移動(早番は自転車で、遅番は徒歩で)時に聞いていました。
少し前に、ギター用にアレンジしたので、それを弾いてから寝ます(笑)。今帰宅しましたが.......。




 本は、早番の帰りにファミマで読みましたが、アップはバリントです。
この素朴エゴイズムとか、マーガレット・リトル先生の原初なる一とか、旨い具合にネーミングされますね。


 〜動物のように人間でも母子の合一(mother−child unity)が全く中間の時期なく直ちに成熟した性関係すなわち男女の合一(man−woman unity)にとって代わられるものならば、おそらく全生涯を通じて愛し方は素朴エゴイズムで十分だろう。幼児期と成人期すなわち二人の人間の互恵的相互関係が自然に生じる人生の二期の間に中間期があることは、人間の特徴であるが、解消されなければならない不調和(discord)へと導くのである。この不調和は文明の発展と並行して増大するもので、現れるそれを大幅に解消するのは、情動生活に対する現実感覚の優位を増強していくことである。 洗練された、配慮、思いやり、共感、感謝、(抑止された官能性という意味での)やさしさ、これらは情動の世界における現実感覚の力が増大しつつあり、徴候でありまた結果である。社会的な意味における愛を可能にする現実的能力は、外的な 擾乱によって生み出される二次的形成物である。それは性器性(の発達)と直接の関係はない。 幼児期に経験した互恵的相互依存が再創造される場である。両者の中間期に学習したものは何であっても求愛には重要な役割を演ずることだろうが、性行為の最中は忘れなければ倣って、現実感覚(礼儀作法の洗練)が在りすぎたり、パートナー間の境界線をきっちり引きすぎるのは邪魔になり、温度が上がらず、はてはインポテンスになることもあるだろう。たとえば身体を清潔にするしつけがもととなって、一部の神経症患者は自分の体臭やふと立てた音や何気ない動きがパートナーの心を乱したり嫌悪感を抱かせたするのではないかと不安になる。 素朴エゴイズムを最初に乱すものは母親が成長していく子どもから遠ざかるということである。母親の遠ざかりとは限らない直接的にほんとうの突き放しとして表現されることもあり間接的に母親がなんらかの形で、この発達を遅らせようとする試みとして表現されることもあろう。