うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

指や爪でギターを弾きたい!と、【この種の患者が耐えられないのは真実を与えられることではない。真実の総体にさえ耐えられる。ただ自分の分析者から真実を受ける強さだけではない。通常とにかく過敏である。】



昨日、豊橋まで出たついでに、楽器屋さんに寄って、爪の相談をしてきましたが、中々良い物がなくこちらにしました。



 本当は、人差し指に塗ろうかと思っていましたが、

 帰宅するまでに、別の指がの爪が割れました......。
本当は、指や爪で弦を弾きたいのですが、皮膚も爪も弱くて、中々思い通りにはいきません。クラッシックを習っていたので、爪を伸ばして中学生の時は頑張っていましたが、直ぐに折れたり、割れたりするので諦めました......。エレキなら指でも大丈夫なので、大人になってからエレキの人でいましたが、最近、アコースティックを弾く機会があるので、懲りずに指で弾いていますが(笑)この有り様.......。
 割れてから塗るわけにはいかないので(笑)伸びるのが先か?割れるのが先か?
取り敢えず、やすりで爪が弦に当たらないように、痛みが出る寸前の所まで削りました(笑)買った意味がないですね(笑)









 今日は、夜勤明けでしたが、事務仕事が溜まっているので、夜勤の合間と、帰宅してから少しやりました。
本はまだ読んでいません(笑)


 アップは最後の貯金(笑)で、最後の基底欠損です。
次回から、一次愛に入ります。明日は久しぶりの金曜日の日中なので、散歩が沢山出来るでしょうか?送迎もいくつかあるので、そんなにできないでしょうか?
 歩くのが好きなので、散歩は嬉しいです。
 

 今欲しいヒントが満載の本でしたので、おそらく調べたい時に読み返すと思われます。


〜しかし、臨床像が主にもう一つ別の型の退行、すなわち認識されることが目的の退行であれば、見通しはかなり明るい。むろん、分析者は何回か自分が試される時が来るのに備えなければならない。特に自分の誠実さが試されている時である。この種の患者が耐えられないのは真実を与えられることではない。真実の総体にさえ耐えられる。ただ自分の分析者から真実を受ける強さだけではない。通常とにかく過敏である。不誠実さをちらりとでも見せられた時の患者の反応が苦痛と引きこもりであっても不思議でない。不誠実さが、ただ、慣習に従った形の礼儀正しさの範囲のものであっても同じである。 分析者がこれらの誘惑的な落とし穴のすべてを避けるのに成功者すれば、患者は、一部は分析者の耐容性増大に反応してだが、さもなくば心中に秘めていたであろう――事物を理解するというか、ただ事物を見すえるために事物をまるごと眺め肯定的にわが身に引き受けるという――静かな決意を現す。 これとともにその患者は次第に退行を脱する。これが最後でないかも知れず、再発が続いて起こることさえあろうが、しかし、長い道のりで一歩前進したことだけはどの場合も同じく確かである。この第五部には終結点を記さなかったし、完全なストーリーは叙述した分けでもない。しかし、これまで患者の基底欠損の創り出した深淵のために閉ざされていた、患者と患者の世界のある部分との間に新しい関係が開け、その結果、患者の自我統合が一歩を進めるという意義は必ずあることだ。〜



 解釈の第一の役割は、治療上重要なある種の事態が発生する素地となる雰囲気やり方醸成し維持することである。第二は、この雰囲気を醸成に対して治療者の貢献が何で患者自身の貢献が何かを患者に理解させることである。この二つの役割がどのように相互を規定しつつ最終結果を生み出すのであろうか。醸成された雰囲気の如何を問わず、雰囲気はある種の解釈を導き出しある種の解釈を除外する。また、ある種の解釈はある特別の雰囲気を醸成し、逆にその種の解釈を避けて通れば全く別種の雰囲気が醸成されるだろう。こういったことはもう自明とされていてほしいものと私は思う。