うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

散歩と、すろーじゃむの湯と、ぶどうと、【子孫のための蓄えが植物においては非常に発達している。このことがある詩において女性が植物のよく例えられる理由であり、また、私の知る限りが欧州の言語では「植物」という語の性が女性であり、「動物」が男性あるいは中性である理由かもしれない。】



  今日は、久し振りの、金曜日の散歩でしたが、風が強くて、中々ハードでしたが、半分以上ジョギングで元気いっぱいのとしちゃんでした!
久し振りだと、身体が重い(笑)各週にして頂きたいです!


 潮干狩りは、今年は終わりだと、立て看板がありました。
あっても、スケジュール的に行けませんが(笑)

 今日は、送迎が沢山あって、昼からはゆっくりできませんでしたが、取り敢えず、としちゃんと、利恵さんで蔵王山の展望台をぐるぐる回りましたが、ゴールデンウィークのせいか?人が沢山おられたので、いつもの半分くらいで止めて置きました。
 利恵さんも半分くらい歩きました。



 夕方、送迎が終わってから、男子だけですろーじゃむの湯にいきました!
おっちゃんも汗を沢山かいたので、シャワーを浴びました(笑)
裸の付き合いも同性には大事な事ですね。より、仲よくなれた感が半端なかったです!

 
 朝も夕方もいちごの収穫をして、うたたねに持って帰ったら、また〜?と世話人さんに言われました(笑)
出来る時には一気ですね(笑)最初は皆さん嬉しいのですが、段々腹がいっぱいになってきます(笑)そして、ジャムになります(笑)
 ぶどうも、また誘引しないといけない状態にまっていました!





 本はいつもの如く(笑)早めに出て、ファミマで読みました。
一次愛の方に、今日から入ります。
 初めの方は、生物学でした(笑)はっきりいって、難しいです(笑)
でも、そこまで考えての分析治療なんですね!体(ソーマ)がエロスに支配されてくる様子を、生物の進化に置き換えて、説明しています。置き換えではなくて、そのものでしょうか? 自分には未知の世界だったので、非常に興味深く読ませて頂いています。




一次愛と精神分析技法
マイケル・バリント
森 茂起・枡矢和子・中井久夫 共訳



第一部 欲動と対象関係
第一章 生物発生基本原則と性心理とには平行性がある(一九三〇年)

1 エロスの履歴書 したがって、われわれは、身体の発達と性心理の発達がずっと同じ道を通ることがわかった。また、身体が週の単位で足りるのに、心は年の単位が必要なこともわかった。もっとも、なぜ全く同じ道、すなわち、口唇から肛門を経て性器への道を身体も心も通らなければならないかは、われわれにはまだわかっていない。今のところは、われわれが知るとおりの性的編成段階の等価物が動物においても認められるということ、またフロイトが発見した性心理発達の三段階は系統発生上の性発達のやはり三段階に符号することを言っておくにとどめたい。この事実をとおしてはじめて、人間における性編成が四段階でも二段階でもなく三段階であることが証明されるのであるが、このことを今まで誰も怪しんでみなかったことは不思議である。〜


 〜「性」の起源形態は、したがって、固形の食物の摂取と密接な関係がある。一般的にいって二種類の説明が可能だろう。すなわち、性的進化と液体食から固形食への進化とは相互に関係なしに起こり、後に細胞口部が性的部分になったのかをそれとも逆に、生物が性的合一にあたって快楽を体験し、この快楽によって、固体粒子を摂取しようという欲望を目覚めさせたかである。おのれの細胞質内に「自」ならざる型の物質が存在するのは居心地の悪いことであるから、一連の防衛過程が活動を開始し、うまくいった場合には、この過程によって粒子の同化か起こり、こうして元来は単なる快楽行為であったものが実用性のある行為に転化したという考え方である。 生物学の資料からは、どちらとも断定できない。しかし、とにかく私が集めることのできた資料の限りでは、栄養と性との間には非常に密接な関係が存在しそうである。〜

〜したがって、女性においては二つの元来の性機能すなわち合一することと中身を空けることとは統合されていない。この意味では女性はより原初的な段階にある。男性の接合機能は「退行による統合」に向かって何歩か進んだものである。パートナーとの合一は、系統発生の比較的遅い段階において達成されたものであるが、もちろん生物学的には一種の退行であって、配偶子母細胞が配偶子の機能を模倣していることである。男性においては、性的合体と性細胞の排出、すなわち配偶子母細胞の本来の機能が一つにとりあえずされて不可欠である。女性は明らかに、身体的にも精神的にもないそれに対応する男性よりも格段に原始的であるようにみえる。しかし、逆に、男性の特徴でそれに対応する女性の特徴よりも原始的なものがある。おそらく、これらの原始的性格は、男の場合も女の場合も、実際の生物学的差異に対応させるほうがよく説明できるだろう。この差異は、動物と植物との差異によく似ている。子孫のための蓄えが植物においては非常に発達している。このことがある詩において女性が植物のよく例えられる理由であり、また、私の知る限りが欧州の言語では「植物」という語の性が女性であり、「動物」が男性あるいは中性である理由かもしれない。