今日は、彦坂先生のストレッチ教室がありました。
いのうえっちは、本当に上達していました!ゆうちゃんは、お風呂と食事が済んだので、眠たそうでしたが(笑)頑張っておられました!
こばちゃんは、身体が柔らかいですね!ひでくんも柔らかい。だけど、ダウン症の方々は、関節が柔らかい代わりに外れやすいので、無理は禁物ですね。
まりちゃんも頑張っていました。おっちゃんもやらせて頂きましたが、本当に気持ちが良かったです。
ありがとうございました!
本は、第16章まで進んでいるので、自分にとっては復習になります。
下記のように、短期間だけ同一化して(断続的に繰り返して)ゆけば、基底欠損水準の方々にも効果がでるのでしょうか?やり方次第でしょうね。
少しずつ、直面化(少しずつ強度を増やしていって)を繰り返せば、まあ、行動療法的になるのかも知れませんが(自分にはある面、同じところもあるように感じていますが....)、我慢強くやるしかないですね......。
『それによって、対象は――パートナーとなっているが――短期間ならば一切言挙しない存在であるところを甘受してくれるようになる。すなわちまったく同一の関心だけを持ってくれるようになる。』
第一三章 成人愛
〜リビドーを動因とする努力の究極目的はすべて原初調和の維持あるいは復元にある。再びアニー・ライヒ女史を引きたい、女史はオーガズムの際の脱我硬骨感を描写して「ここで状態に至ればすでにその女性の個体性は存在を停止したごとくであり、相手の男性と一つに融合したと感じる」(前掲書二七ページ)。女史はこの神秘的合一をフロイトが大洋感情と命名したものに似るものという、「“自己と一次対象とがつくる世界”と自己との合流、それは個人と個人とを分かつ境界の一時消失だ」。(前掲書二七ページ)この臨床観察所見もまたこれまではバラバラにされて一次ナルシシズムなるスーツケース型理論の中へ詰め込まれていたけれど、一次愛理論の自然帰結であるのはくり返すまでもなかろう。 この個人と、環界における最重要部分すなわち愛の対象間の神秘的合一、調和的=相互滲透的渾然体の復元こそ全人類の願望である。この成就のために、まず冷淡な対象あるいは潜在的・敵対的対象を、私のいう“わがものにする作業”(一九四八年)を通じて協力的なパートナーに変化させなければならない。それによって、対象は――パートナーとなっているが――短期間ならば一切言挙しない存在であるところを甘受してくれるようになる。すなわちまったく同一の関心だけを持ってくれるようになる。この“わがものにする”腕前には大きい個人差があるのだろう。誰もが定期的なオーガズム到達能力を持っているわけではない、調和的パートナーシップを成就できるわけでもない。しかし、なおこれこそが、一次的調和渾然体を再建する最常道であることに変わりはない。
成人の生において、この究極目標に達する途がまだ二、三あるが、かなり難しい技倆と才能を必要とするものばかりである。宗教的脱我恍惚状態と芸術創造における至高の瞬間と、そして、分析治療において一部の退行期がそれである。もっとも分析治療の場合は患者の方が深く味わうはずであろう。以上の状態においては個人は孤立しており、ナルシシズム的撤退ではないかとの印象を与えるが、全部に共通な基本特性として、不調和はすべて払い去られ、ごく短期間ながら個人はくもりなき理解の中で、完全なる調和的=相互滲透的渾然体において、自己と自己の世界全体との合一を現実・真実に体験しているはずである。
第二部を要約すると
一、フロイトは個体の、その環界とのもっとも原初的な関係についての理論を三つ、いずれも断言的形式で提示している。一次対象関係、一次自体愛、一次ナルシシズムがそれである。これら三理論は相互に矛盾しているが、フロイトには全然そのことをとりあげた文章がない。
二、フロイトは、代わりにこれらの三理論を一次ナルシシズムを肯定する形で統一しようとした。自体愛とは一次ナルシシズム期に特徴の欲望満足と規定された。逆に、依託型であろうとナルシシズム型であろうと、対象関係はすべて二次的とされた。この理論にはいくつか矛盾が内在するが、フロイトの気付いた矛盾は一つもない。最近になってこの矛盾を指摘したのは愚問なかんづく、クリスとレーェンスタインである。この二人はまた新語を提案したが。それらは積年の問題の一部に解を与える一方、別に新しい問題をつくり出すように思われる。
三、一次ナルシシズムの存在肯定のためにフロイトの用いた論拠やフロイト以後の精神分析文献にみられる論拠を再吟味すると、皆が皆、二次ナルシシズムの存在証明の論拠にすぎないことが分かる。ひょっとして二次ナルシシズムだけによっては解明できないかも知れない例外が二つある。分裂病における退行状態と睡眠中における退行状態である。しかしこの二つといえども退行の行き着く先は一次ナルシシズムでなくて、原始的な形だが一種の関係であるまいか。
四、臨床観察所見が一次ナルシシズム理論肯定の確固不動の基盤を提供しえないと思われたため、精神分析理論は一次ナルシシズムの時期を時間軸に沿って前へ遡らせ、ついに胎生期に至った。既存データを詳検すると一次ナルシシズム理論は胎生期の観察事実と矛盾しないが、必然的帰結とはいえないだろう。私が一次愛の理論を提出するのはいくつかの観察事実とより良く合うように思われるからである。
五、一次愛理論を使えば多数の臨床観察所見をより良く理解し、総合できる。そのこと自体、一次愛理論の有効妥当性を示唆する論拠である。その臨床観察所見は、たとえば分裂病者、アルコール症者、“ナルシシズム的”患者の治療体験の際に得られた。なお、精神分析の場において患者が有効な治療関係をつくれるようにと、何人かの専門家が編み出した修正分析技法によって得られたものもある。
六、最後に、ヒトのエロス的生活を吟味すれば一次愛理論の支柱がいっそう補強される。