うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

うたたね増築工事と、フェアトレード・デーなごや2018と、【基底欠損はコンプレックスでも葛藤でも分裂でもない。人格基底構造における一欠損であって、むしろ欠陥・瘢痕に近い。もちろん患者の大部分には自分の鬱憤と生気喪失と依存性の原因が判らない。】


 うたたね増築工事が佳境に入って来ました。昨日の写真ですが、外壁はこの部分が張れたら完成です。

 内装の方も、この写真より進んでいました。遅くまで、職人さん達が頑張って下さっているので、中々写真が撮れません。
 


 あいちアールブリュットさんから連絡があったと、親分が入浴介助の時に言って来たので、生返事していて帰宅後、メールチェックしていたら、きちんとした催事でしたので、アップさせていただきました。下記の通りです!

 来月の5月11日〜13日にフェアトレード・デーなごや2018のなかでアールブリュットの展示を行うことになりました。場所はテレビ塔の3階のスペースです。
http://fairtrade-nagoya.com/holding



 本は早番で7時に現場入りすれば良かったのですが、6時半に入ろうと6時には、現場横のファミマさんで朝食を摂りながら本を読んでいたら、6時35分になっていて(笑)慌てて食べ終え、現場に入りました。それと今日は、夕方の入浴介助(4人だけでしたが)に入り、帰宅しました。
 アップの内容は先日、読んだ箇所です。基底欠損の芯に入っています。

 下記は、原因でしょうか?

『これは自己変化拒否の形をとることもあり、逆境受容力と緊張増大耐用力の全的欠如の形をとることもある。非協力期が短期間であれば、一過性の抵抗あるいは“分裂・スプリッティング”によるとされ、持続すれば、有力な分裂病的偏執症機制のためとされる。別の解釈法によれば、これらの状態は、母親と後年母親を代表象する者に対する解消不能の鬱憤、すなわち患者が当然与えられるべき愛情、同情、理解を貰えなかったという鬱憤にもとづくとされる。』



 下記は、基底欠損の状態でしょうか?

『患者はひたすら分析者はいなかった自分との関係に没頭し、その関係から肯定充足が得られるのか欲求不満しか返ってこないのか、ばかり考えているからである。分析治療続行の意義がまったくないかに見える状態だ。患者のリビドーのほとんど全部を吸収しているこの種の転移が、明確に三角関係である“正常な”エディプス転移とは反対に、排他的二人関係の構造を持つと判れば、それを診断上患者が基底欠損領域に達した徴候の一つと認めてよい。』


 下記の2つも、状態のように感じますね。

『基底欠損はコンプレックスでも葛藤でも分裂でもない。人格基底構造における一欠損であって、むしろ欠陥・瘢痕に近い。もちろん患者の大部分には自分の鬱憤と生気喪失と依存性の原因が判らない。自分の中の欠損あるいは欠陥が何か判っていない。けれども、一部の患者はそれを、その反対物を述べて表現できる。自分のパートナーが完全な人物であるとか、自分が環界全体と完全な調和にあるとか、完全な波一つ立たない幸福にあるとか、自分と自分の世界に完全に満足している、という幻想を述べるのである。』

『それを何かとは、普通、当面手の届かぬものである。重症例では自分の失ったものが完全に復元されぬ限り人生は生きるに値いしないなどといい、実際そのことは真実のように行動する。』


 中間あたりにある下記が、答えなのでしょうか? 
『私のいわんとする意味は、患者の、現実を受容し現実の中で生きたい気持ちを刺激する、あるいはそういう気持ちを新たに創造するというに近い。これは、患者の鬱憤と生気喪失、すなわち転移神経症の中で執拗、無遠慮、無作法、あらさがし、敏感、貪欲、極端な依存などの形となって現れているものを減少させる意義がある。』

 《患者の、現実を受容し現実の中で生きたい気持ちを刺激する、あるいはそういう気持ちを新たに創造するというに近い。》は、どういう風にすればいいのか?読み進めていると、明確な答えが、自分の欲している答えが出て来るのでしょうか?現在は第16章に入っていますが、まだ、自分に理解できる範囲(狭いかもw)での答えは、何となく分かっているのかな〜ってところでしょうか?

 上記の、《もちろん患者の大部分には自分の鬱憤と生気喪失と依存性の原因が判らない。自分の中の欠損あるいは欠陥が何か判っていない。》を利用者さんに示せるようになれば、利用者さん達がもう少し楽に、生き易くなりそうな気もしますが、それぞれの特性や環境の中で考えて行くしかないのは理解できますが、個人的には、分かった様な、分かっていない様な状態です......。でも、現場での支援を考え直す機会を与えてくれているのは確かです。




〜エディプス領域に由来する技法問題と基底欠損領域に由来する技法問題との差の本質を示そう。そのために退行現象を今までと違った角度から眺めよう。分析治療中のある時点で患者が分析者に協力したがらなくなる事実は、臨床的にきわめて古くから観察されている。これは自己変化拒否の形をとることもあり、逆境受容力と緊張増大耐用力の全的欠如の形をとることもある。非協力期が短期間であれば、一過性の抵抗あるいは“分裂・スプリッティング”によるとされ、持続すれば、有力な分裂病的偏執症機制のためとされる。別の解釈法によれば、これらの状態は、母親と後年母親を代表象する者に対する解消不能の鬱憤、すなわち患者が当然与えられるべき愛情、同情、理解を貰えなかったという鬱憤にもとづくとされる。 どんな患者の心中にも治療者への協力を望まぬ箇所があることに反対する者はいなかったが、ある患者が特定の分析の場の特定時点でどの程度治療協力を行うかを決定する因子を論じたものも今日までないに等しかった。重症退行患者は、たとえば精神分析の「基本原則」に従わねばならないことを理解できないらしく見える。そのような場合に、患者が精神分析に助けを求めた元来の苦痛が何だったかを思い出してもらおうとしても実際は無理だ。患者はひたすら分析者はいなかった自分との関係に没頭し、その関係から肯定充足が得られるのか欲求不満しか返ってこないのか、ばかり考えているからである。分析治療続行の意義がまったくないかに見える状態だ。患者のリビドーのほとんど全部を吸収しているこの種の転移が、明確に三角関係である“正常な”エディプス転移とは反対に、排他的二人関係の構造を持つと判れば、それを診断上患者が基底欠損領域に達した徴候の一つと認めてよい。 ここからわれわれの主題に直接つながる。どうすれば患者の中の非協力部分を転じて協力させるか、すなわち精神分析による援助を受容させるかの問題である。私のいう意味は抵抗の解消と違う。抵抗とは葛藤であり、その解消ならばエディプス水準のことだ。“分裂したもの・スプリット”の取り消しとも違うが、私のいわんとする意味は、患者の、現実を受容し現実の中で生きたい気持ちを刺激する、あるいはそういう気持ちを新たに創造するというに近い。これは、患者の鬱憤と生気喪失、すなわち転移神経症の中で執拗、無遠慮、無作法、あらさがし、敏感、貪欲、極端な依存などの形となって現れているものを減少させる意義がある。 私が基底欠損を仮定したのは、まったく今までと違ったこの臨床感覚の説明をつけようとしてだった。基底欠損はコンプレックスでも葛藤でも分裂でもない。人格基底構造における一欠損であって、むしろ欠陥・瘢痕に近い。もちろん患者の大部分には自分の鬱憤と生気喪失と依存性の原因が判らない。自分の中の欠損あるいは欠陥が何か判っていない。けれども、一部の患者はそれを、その反対物を述べて表現できる。自分のパートナーが完全な人物であるとか、自分が環界全体と完全な調和にあるとか、完全な波一つ立たない幸福にあるとか、自分と自分の世界に完全に満足している、という幻想を述べるのである。しかし、もっともよくみられる形は、患者が、自分は捨てられた、世界の中で何も意味がない――自分の中から取り去られあるいは元来自分に与えられなかった何かが自分に還ってくれば別だが――、などとくどくどいうが、それを何かとは、普通、当面手の届かぬものである。重症例では自分の失ったものが完全に復元されぬ限り人生は生きるに値いしないなどといい、実際そのことは真実のように行動する。