うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

あいちアールブリュット優秀作品展と、【躁的防衛においては、深刻なものはすべて否定される。】


 うたたね増築工事が、少しずつ進んでいます。
夜勤に入った時には、この写真でしたが、今朝、明けの時には、基礎の立ち上がりの型枠を作っていました。
 どこまで進んだのでしょうか?最近のコンクリートは直ぐに乾燥するんですね。


 本は、夜勤明けに、ファミマで読みました。真剣に読んでいたら、10時を回ってしまい(笑)慌てて帰宅しました。
ちょっとギターを弾いてから、仮眠しようと思っていたら、2時間くらい弾いてしまい(笑)結局、眠っていません。




 明日は、あいちアールブリュットの優秀作品の表彰式があり、撤収がてら見に行こうと思っていますが、何と!名古屋ウィメンズ・マラソンの日.......。
交通規制が長時間に渡ってあるので、早朝に出て、安い駐車場にしばらく置いて、規制が解除されたら文化芸術会館の駐車場に向かうつもりです、が、時間的に微妙ですね.....。撤収がなければ、電車で行くのですが......。
 あまのっちと、おかもっちゃんの代理で、表彰を受けて来ます。ちょっと申し訳ないですが、事情があって、御両名とも行けないので行って来ます。
ゆうこちゃんと、まつおさんは、出席されるそうなので、写真を撮ってこようと思っています。

 自分の中では、抑うつポジションと、躁的防衛はセットになっていて、自分の支援基礎になっています。
本当の概念での使い方ではないのかも知れませんが、物を考えるのには、芯がないとぶれてしまうので、個人的にこのセットを芯にさせて頂いています。
 まだまだ勉強が足りませんが、この概念をもっと深く理解したいとこの周辺の本を選んで読んでいる感じもしています。

 自分的には下記が、まさしく躁的防衛だと思っています。

『躁的防衛においては、深刻なものはすべて否定される。死は誇張された活発さになり、沈黙は騒がしさになり、悲しみも思いやりもなく、建設的な努力や安らかな喜びもない。これは抑うつに関する反動形成であり、それなりに1つの概念として考察する必要がある。』

 なので、どうやって、抑うつポジションに持って行けるかが、自分の支援の方向性です。当たり前ですが、人の数だけその方法・方向がありますので、絶対こうだとは、言えません。

『そしてまた、抑うつポジションは未決のままであり、失われたというよりはむしろ否定されたことを意味するのである。』



躁的防衛
 抑うつポジションの不安と特に関連しているこの抑うつ的な気分を個人が取り扱う時のやり方には、抑うつから逃れるための悪名高き安息日というものがある。それが、すなわち躁的防衛である。躁的防衛においては、深刻なものはすべて否定される。死は誇張された活発さになり、沈黙は騒がしさになり、悲しみも思いやりもなく、建設的な努力や安らかな喜びもない。これは抑うつに関する反動形成であり、それなりに1つの概念として考察する必要がある。臨床場面でそれが存在するということは、抑うつポジションに到達したことをまさしく意味する。そしてまた、抑うつポジションは未決のままであり、失われたというよりはむしろ否定されたことを意味するのである。 小児科の診療所での最も一般的な診断は、わたしが常に“復活祭の不安な落ち着きのなさcommon anxious restlessness”(本論分集1第2章)と称していたものである(1930年のことで、私がクラインの考えに出会う以前)。そしてこれは、抑うつの否定を主な特徴とする1つの臨床的状態である。子どもにおけるこの病気は、若い頃に固有の性急さや落ち着きのなさの陰に隠れてしまうので、時には見過ごされる。病気としては、普通の落ち着きのなさは成人の軽躁状態と対応し、それは結果として多くのさまざまな心身症障害をもたらすものである。躁的な落ち着きのなさは、迫害的な落ち着きのなさや、意気揚々とした状態、そして躁病から区別されなければならない。