うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アティックアートとあいちアールブリュット優秀作品表彰式と、【抑うつ的不安に対する1つの防衛は、本能それ自体の相対的禁止である。】


ラソンの事が気になっていたので、早朝に名古屋に向かいました。
思ったよりも早く着いたので、2時間くらい車の中で、ギターを弾いていました(笑)
小さな車で行ったので、狭かったですが、気持ちよく弾けました。
 午前中に、アティックアートの方の表彰式があり、まつおさんが表彰されました!
知事さんから、賞状を頂き、まつおさんにとっても、アトリエ・カーグにとっても、素敵な時間を頂きました!

 お昼をオアシス21にあるマックで食べて、保坂さんのお店のある、栄・能楽堂ビルに行きましたが、着いた早々、ちょっと下の喫茶店に来て!って
行ってみると、ラジオの収録をしていました(笑)
 後ろで聞いていたら、笑うのを我慢しながら、喘息がまだ完全に治っていないので、ここで吹き出すと、きっと咳が止まらないだろうなと思うと笑ってはいけない、状態.....。写真を撮ろうとすると、録音中でも.....(笑)羨ましい程、自由に生きておられるので、本当に羨ましいですね!
 お店の方も忙しいようで(特に土曜日は)、彼女の企画力・コミュニティを作る能力にはいつも感心させられます。
おっちゃんも出されそうになりましたが(笑)何とか、脱出してきました(笑)
 ギターでの参加なら大歓迎です!
ちょっと?逸れてしまいましたが(笑)


 16時からは、あいちアールブリュット優秀作品の表彰式がありました。
アトリエ・カーグからは、こちらは3名選ばれ、参加できたのは、優子さんだけでした。
 おっちゃんは、星野眞吾賞で、豊橋市長さんから表彰して頂きましたが、まつおさんも、優子さんも、おかもっちも、あまのっちも、知事さんから表彰して頂いたので、負けてしまいましたね......。


 おかもっちゃんと、あまのっちは、おっちゃんが代理で、賞状を頂いてきました。

 記念品はの中心は、瀬戸焼とのことでした。
17時に撤収してきて、真直ぐトイレ休憩もなしに、帰って来ました。



 本は、マックで食べながら読みましたが、アップは昨日読んだ箇所です。

 下記は、やはり、リトル先生の、まずは身体記憶という言葉を思い出します。本能的体験というのは、個人的に、無意識の中で(偽りの自己でない部分で)しか起こりえないのかな?とも思います。

『われわれが内なる世界における元型的な組織化について、どのようなものを見出だそうとも、永続性のある治療的変化は新しい本能的体験によってのみもたらされるということを、われわれは思い起こすべきである。』『そしてそれらが手に入るのは、分析中の転移神経症において起こった場合だけである。』と続きます。転移神経症といえば、やはり、リトル先生でしたね。


 下記は、神田橋先生が、何事も枝葉末節からだと言われていたのを思い出しました。無限の複雑さを統合して行くには、やはり枝葉末節、複雑さのその端を何とか手探りで、糸口を見つけて、その複雑に絡んだ糸を、少しずつ引き寄せて行くしかないように思われます。

『治療において、A群およびB群に関する本物の変化は転移における作業から生じるとわれわれが言う時、われわれは1つに秩序立ったシークエンスが暗に意図されているのを知っている。しかし、実際のどのような症例においても、たとえ患者が幼い子どもであっても、その無限の複雑さを、われわれは認識している。』


『患者の内なる世界における迫害的可能性を経済的に減少させるのは、転移における口唇サディズムの分析である。』
 下記を参考に、上記を読み返していますが、難しいですね......。これだけハッキリ言いきっているのに、理解がまだできません.....。

 口唇期的な吸乳時期における満足の欠乏は、口唇期的な噛む段階における欲求を増大させ、サディズムを強めることになる。口唇期的サディズムが激しく始まれば、対象関係と性格形成はサディズムとアンビバレンスに支配され、早く始まり過ぎれば自我が早く発達し過ぎてしまい、強迫神経症になることもある。それは、生の本能に対する死の本能の現れでもある。フロイトは不安をリビドーの直接的な変化として(つまり欲求による緊張増加の結果として)説明しているが、クラインは破壊的な本能の危険性(攻撃性)こそ不安を生じさせるのだと主張する。欲求不満はサディスティックな本能を高め、不安を遊離して増強させるというのである。




内なる世界の検討
 われわれが内なる世界における元型的な組織化について、どのようなものを見出だそうとも、永続性のある治療的変化は新しい本能的体験によってのみもたらされるということを、われわれは思い起こすべきである。そしてそれらが手に入るのは、分析中の転移神経症において起こった場合だけである。すなわち、空想が患者の中でも神話の中でも同じものであるということを患者に示すことにより、われわれが元型を変えることなどないのである。 抑うつポジションを達成した個体の内なる世界を見ると、次のような事柄が分かる。



 競い合う力(A群)。
 対象または対象の事情として、良いと悪い(B群)。
 良いと知覚された事柄で、個人的な豊かさと安定のために取り入れられている(C群)。
 悪として知覚された事柄で、制御するために取り入れられている(C群)。



 治療において、A群およびB群に関する本物の変化は転移における作業から生じるとわれわれが言う時、われわれは1つに秩序立ったシークエンスが暗に意図されているのを知っている。しかし、実際のどのような症例においても、たとえ患者が幼い子どもであっても、その無限の複雑さを、われわれは認識している。 患者の内なる世界における迫害的可能性を経済的に減少させるのは、転移における口唇サディズムの分析である。



防衛の型
 抑うつ的不安に対する1つの防衛は、本能それ自体の相対的禁止である。それは、本能的体験のすべての後遺症を量的に減少させる。以下のような、他の防衛機制が内なる世界においては使用される。


全面的制御、徐々に引き上げられる(抑うつ気分)。

分割departmentalization。

特定の迫害的集団は隔離insulation。
封じ込めることincapsulation。
理想化された対象の取り入れ。

良い事柄を秘密にして隠すこと。

良いものの魔術的投影。
悪いものの魔術的投影。
排出elimination。

否定negation。




 このような分野を検討することは、子どもの遊びの全領域を検討するようなものである。というのはとてもあらゆることが遊ぶことの中に現れるので、事実、全く同じものになってしまう。迫害的な集団の封じ込めから、その投影によって一時的に救われようとするのは、その個体にとりあまりにも簡単すぎるのである。しかしながら、もし外的現実が、投影される素材について完全な例証を提供しないことがあるとしたら、その結果は妄想状態なのであり、われわれはそれを狂気と呼ぶ。