うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

寒いですねと、【躁的防衛という用語は、その抑うつ不安を否認する個人の能力を表すために使われるものである。】


 毎日寒いですね....。昨日だけでなく、ここしばらく、すろーじゃむで入浴介助の準備をする時に、ファンヒーターの温度が3℃になっている日が多いです。
入浴介助時には24〜25℃になっていますが、それまでは本当に冷えます。
 取り敢えず今は、湯冷めしないよう、身体が暖かいまま、ご自宅に送らせて頂いています。
身体に障がいがある方々は、障がいがある部分が非常に冷たい(冬場は)ので、湯船に浸かっている時に、その箇所のマッサージをさせて頂き、血流が良くなるようにさせて頂いています。先の白柳先生の本を2冊購入したので、身体についても、もっと勉強して、身体に障がいをお持ちの方々のお役にも立てればとも思っています。
 もう事務所に来ているので、明日は夜勤ですが、送迎などが午前中にあり、その時に本をもらってこようと思っています。




 改めて『躁的防衛』『抑うつポジション』について読んでみると、分かっている様な、分かっていないような感じになってしまったので(笑)気を引き締めて、勉強し直したいと思いました。
 本は、自分の受診の待ち時間に、沢山読みました。


要約
 私は、躁的防衛はその抑うつポジションとの関係のいくつかの側面を示すように心がけた。そうするうちに私は、内なる現実といくつか語とその意味を、空想と外的現実という語の意味と対比させ考察することになった。 私自身、躁的防衛についての理解と内なる現実についての認識が増えたことは、私の精神分析的実践に大きな違いをもたらした。 私が望むのは、次のようなことについて私の症例の素材が多少なりとも示唆を与えるということである。つまり、なんらかの形で躁的防衛がよく使われ、他の防衛同様、常に分析家が心に留めておくべき機制であるということなのである。 すべての症例において遅かれ早かれ、抑うつポジションに到達するものであり、それに対する防衛はいつも予想できることであるため、幾つかの症例が躁的防衛を示すのだと言うだけでは充分ではない。そしてどの症例でも、分析の終わりについての分析は(初めからそれで始まるかもしれないが)、抑うつポジションの分析を含んでいる。 終わりは、それ自体が充分分析されていなくとも来てしまうために、よい分析が不完全になることもありうる。あるいは、分析が長引いたものになることもありうる。その理由の一部は、終わりや申し分のない結果そのものは、それらが分析された時にのみ、患者にとって容認できるものになるからである。すなわち、抑うつポジションの分析と、それに抗して用いられる躁的防衛を含めた防衛の分析が完結した後のことなのである。 情緒発達に固有の抑うつ的不安とはすなわち、罪を感じて、そして同時に本能的体験を伴う空想の中での攻撃性について責任を認識する、そういう個人の能力に属する不安なのである。躁的防衛という用語は、その抑うつ不安を否認する個人の能力を表すために使われるものである。