うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

菜の花と、【“移行対象transitional object”および“移行現象transitional phenomena”という術語を、私は次のようなものの間にある体験の中間領域intermediate area of experienceの名称として用いている。】


 明日は、カーグとバンドの日です!
カーグでは、菜の花を描くようです。理事さんにお願いして、親分が頂いてきました。




 本は、自分の受診の待ち時間、夜勤明けに読みました。
去年の今頃も、北山先生のウィニコットの本を読んでいたこと、思い出しました。同じ内容ですが、少し他の事も勉強したので、ちょっとだけですが(笑)深く入りこめている感じがします。この乳幼児期が大切な時期であったり、成人の方でも、退行がこの辺りであったりするので、タビスットックの乳幼児観察の重要さを、改めて強く感じました。



 
CHAPTER 6
移行対象と移行現象(1951) 最初の所有物 たまたま母親たちの関心や問題に親しく接するというようなことがあると、多分そのときすでに気づかれるのは、最初の我ではない所有物Not−Me possessionを使う赤ん坊が普通に示す非常に豊かなパターンのことであろう。これらのパターンははっきりと表されるので、直接観察できるものである。 生後まもない乳児の握りこぶしを口に入れる行動とともに始まり、テディ・ベア〔クマさんのぬいぐるみ−訳者〕、人形や柔らかいぬいぐるみ玩具、それとも固い玩具への愛着にいたるという一連の出来事ははっきり幅広く多様であることが見て取れるのである。
 ここで、口唇の興奮と満足は他のすべての事柄の基礎ではあるかもしれないが、それ以外の何かが重要であることも明白である。それ以外の多くの重要なものが研究できるのであり、それらは次のようなものを含む。









その対象を我でないものとして認識する幼児の能力。
その対象の位置。つまり、外側か、内側か、境界か。 
対象を、創造し、考え出し、工夫し、発明し、生産する幼児の能力。愛情に満ちたタイプの対象関係の開始。





“移行対象transitional object”および“移行現象transitional phenomena”という術語を、私は次のようなものの間にある体験の中間領域intermediate area of experienceの名称として用いている。つまり、親指とテディ・ベアとの間、口唇エロティズムと真の対象関係との間、原初的創造的活動primarycreativeactivityとすでにとり入れられているものの投影との間、恩を受けていることindebtednessに気づかない原初的段階と恩を受けていることに感謝すること(“「あんがと」と言うこと”)との間である。 このような定義によって、幼児の片言や、少し年上の子どもが眠りにつくまでの間にレパートリーの歌や曲を一通り歌うやり方が、移行現象としての中間領域に含まれることになる。その際、幼児は自分の身体の部分でない対象を使用していながら、それか外的現実に属していることをまだ十分には認識していない。 広く承認されていることだが、人間性human natureについての見解は、対人関係の観点から述べられるときは、たとえ機能について想像的に練り上げられたものimaginative elaboration,つまり抑圧された無意識を含む意識的および無意識的空想の全体を考慮に入れるときでさえも、不十分なのである。また、過去20年間の研究から生まれたものとして、人間の描き方がもう1つある。それによれば、(境界膜と外側と内側を有する)単位unit である段階に達したすべての個人について、その個人にとっての内なる現実inner realityが、つまり、豊かであったり貧しかったり、また、平和な状態だったり戦闘状態だったりするという内なる世界が、存在することを示唆している。〜