うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

すろーじゃむにかぼちゃが!と、すろーで投げ入れ(笑)と、【早期幼児性転移の陰性側面の検索から、メラニー・クラインは、死の本能の直接の派生物と彼女がみなした原初的羨望に出くわした。】


 夕方の入浴介助の準備に、すろーじゃむに行ったら、いつの間にか、かぼちゃが出来ていました!
勝手に生えていたかぼちゃでしたが、沢山花が咲いていたにもかかわらず(笑)全然実がならないなあと思っていたので、びっくりしました。
大きくなって食べれるようになるでしょうか?でも、なんのかぼちゃでしょうか......。



 少し早めに出たので、少し時間があったので、雑草(セイタカアワダチソウ)を投げ入れてみました。
幼少期には、喘息のもとになると、忌み嫌われていたセイタカアワダチソウですが、最近は全然そんなこと聞かないですね。
 立ち姿が好きで、宗達が生きていた頃に生えていたら、宗達なら好き好んで沢山描いていそうですね。と勝手に思いました(笑)

 事務仕事などして帰宅したのは先程でした(笑)休日出勤して、事務仕事をしてくれた職員もいたので、自分が楽するわけにもいかないので、するべきことだけやって来ました。
施設は人なりですね。いまのいたたねは、本当に職員さん達に恵まれています。ちょっと年齢層が高いですが(笑)(怒られますね.....)

 先日、胃をキリキリさせながら、ちょっと弾いてみた、前前前世のイントロを弾いてから寝ます(笑)



 本は学齢児さんのバスを待つ間にサクッと読ませて頂きました。アップはその箇所です。
段々深みにハマって来ました(笑)





〜生と死の本能の相互作用についてのフロイトの理論を受け入れた多くの分析家のなかで、メラニー・クラインの貢献はとりわけ熟慮に値する。というのは、彼女の業績は、本質的に理論、臨床ともにこの仮説に基づいているからである。彼女は陰性転移の分析にも重要な貢献をなした。羨望、なかでもその排除された型が“陰性治療反応”を含めた分析での慢性の陰性態度を生み出すひとつの重要な因子であることを知った。対象群や自我を分割する早期幼児期の機制、それは幼児の自我が愛情と憎しみとを分けておくことを可能にするのたが、その機制について記載した。ナルシシズムについての貢献のなかで、彼女はそのリビドー面をより強調し、実際のところ、内的なよい対象もしくは理想的な対象が空想のなかでは愛される身体や自己の一部を形作るのたが、ナルシシズムはそうした対象との関係に基づいている二次現象であることを示唆した。自己愛状態においては、外界との関係からひきこもり、理想化された内的対象との同一化へとはいりこんでしまう、と考えた。 1958年にメラニー・クラインは、小さな子どもたちとの分析作業のなかで、対象群を破壊しようとする抑えきれない衝動とそれらを保護したいとの間の絶え間ない格闘を観察したと著した。フロイトの生と死の本能の発見はこの格闘を理解する上での素晴らしい進展であると彼女は感じた。彼女は不安は次のことから生じると信じた:『生物体内の死の本能の作用、それは破滅の恐怖として体験される』。 この不安を防衛するために、原初的自我は2つの過程を使用する:
 「死の本能の一部は外界対象のなかに投影され、このようにしてそれ[外界対象]は迫害物となる。そして、一方、死の本能の別の部分、それはその迫害対象へと向かう攻撃性となる」。 生の本能も外界対象の中に投影される。それで、その対象は愛しいと感じられるか理想化される。理想化された対象と悪い迫害的な対象は分割され、すっかり離れたままにしておかれる。それは生と死の本能が脱融合の状態におかれることを暗に含んでいるが、このことが早期発達の特徴であることを彼女は強調した。対象群の分割と同時に、自己のよい部分と悪い部分との分割が生じる。自我分割のこれらの過程とほとんど同時にもうひとつの原初的過程であるとり入れが始める。 おもに生の本能のもとにおいて:それは死の本能と戦う。なぜなら、それは自我が生命を授かるもの(とりわけ、食物)をとり入れるよう導き、そして、そのようにして、その内部において死の本能が作用するよう縛るからである。 この過程は生と死の本能の融合をもたらすには不可欠である。
 対象や自我の分割の過程とそうしたことでの本能の脱融合の状態は、早期幼児期での、メラニー・クラインが“妄想分裂態勢”として描いた時期に始まるので、妄想分裂機制が支配しているそれらの臨床状況において、本能の脱融合がもっとも完成された状態を予想できる。発達のこの早期相からまった状態が見られるだろう。 メラニー・クラインは早期幼児期の機制と対象関係が転移に入り込んでくること、そして、このようにして分析のなかで、本能の脱融合を促す自己や対象群の分割の過程が検索され、修正されうることを力説した。転移のなかでのこれらの早期過程の検索を通して、陰性転移の分析が心のより深い層を分析するための予備条件であると確信したことも強調した。ことに、早期幼児性転移の陰性側面の検索から、メラニー・クラインは、死の本能の直接の派生物と彼女がみなした原初的羨望に出くわした。羨望は幼児の母親との関係のなかで敵意に充ちた生命破壊的な力として現われ、それはとくに食べ物を与えてくれるよい母親に向かうこと、なぜなら、その母親は、幼児から必要とされているだけでなく、幼児が自分で持ちたいと思うすべてのものを含んでいることで羨まれるからであると彼女は考えた。転移のなかでは、助けになることがわかっている分析作業を脱価値化しようとする彼の要求のなかに、これが姿を現す。
 ほぼ完璧に脱融合された破壊エネルギーを表象している羨望は、ことに幼児の自我には耐え難いものであり、それゆえに人生の早期に自我の残りの部分から排除されるようである。排除された無意識の羨望は分析のなかではたいがい姿を見せないままだが、それにもかかわらず、分析での進展を妨げる強力で手ごわい影響力を働かせる。 析は、統合を成し遂げ、人格のそのすべてを取り扱うときのみ究極的に効果をあげうる、とメラニー・クラインは力説した。言い換えれば、うまくいくすべての分析では本能の脱融合は必ず融合へと徐々に変えられる。  生と死の本能の融合と脱融合についてのフロイトの理論は、脱融合した破壊過程を理解するのに欠かせないものと思える。〜