アトリエ・カーグとバンドクラブと、【もしすべてがうまくいくならば、幼児は実際に、欲求不満の体験から利益を得ることができるようになる。というのは、ニードへの不完全な適応が、いわば、対象を愛されながら同時に憎まれるものにして、対象を現実的にするのである。】
今日のカーグは、予告通り、菜の花を描きました!
花の香りが、アトリエに漂っていました。春の匂いのようにも感じました。
菜の花だけでなく、それぞれの個性で、普段通りの作品を描かれておられる方もいますが、こちらも素敵な作品が出来ました。
今回、自分は雑用をしていたので(いつもですねw)、全員の写真が写せなくて申し訳ありません。
バンドの写真は、親分の当番なのですが、あまりいい写真がありませんね(笑)
力強い歌声が聞こえていました!
今回は、自分も頑張って一緒に歌おうとしましたが、途中で声が出なくなりました(笑)
皆さん、本当に凄いパワーですね!
感じの良いピアノが、ずっと流れていて、気持ち良かったです。
本は、車を置きに行ったついでに、夜勤さんと、早番さんのお手伝いを少しだけやらせて頂き、一段落ついたときに読ませて頂きました。
この箇所も、何度も読み返しています。
下記は、現場でも、資格がなくっても、ほど良い支援が出来る方も沢山いますし、(人間が出来ていないのに資格だけで偉そうにする人間がどれだけいるかw)資格があっても、全然支援が出来ない方もいます。おそらく、この辺りがきちんとできていないのだと思われますし、自分の存在が欲しいだけで支援している方は、逆依存して、弱い立場の方に対して、自分の方が上だというような態度で、徐々に減らしていくと言うことを出来ません。自分の存在がなくなるからでしょうね(笑)
『実のところ、育児における成功は、献身の事実によって左右されるのであって、利口であるとか知的に高い教養とかによって左右されるものではない。ほど良い母親は、私がすでに述べているように、初めは乳児のニーズにほとんど完全に適応し、その後時間がたつにつれて、母親の失敗を処理する幼児の能力が増大するに従って、彼女は完全に適応するのを徐々に減らしていく。』
こちらも同じく、現場でも大切なことだと思われます。みなさん、幻覚ばかり追っている感じもしています。
きちんとした支援でも、直ぐに効果が出るのは、きっとその場だけだと思われます。時間をかけてじっくりとしてからでないと、本当に効果や結果が出ませんね.......。
『なぜならば、正確な適応は魔術に似ていて、完璧に振る舞うような対象は幻覚にすぎないものとなるからである。しかし、最初は適応はほとんど正確である必要がある。これがそうでないならばは外的現実との関係を体験する能力を、あるいは外的現実についての概念を形成する能力さえも、乳幼児は発達させることを開始できない。』
錯覚−脱錯覚
この主題について私自身が積極的に寄与するための下地をつくるために、幼児の情緒発達に関する数多くの精神分析の著作の中ではあまりにも当たり前のことと考えられているような事柄を、いくつか敢えて言葉にしておかなければならない。しかし、それらは実践的には理解されているものかもしれないのである。 もしも、ほど良い母親good enough motherがいなければ、幼児が快感原則から現実原則へ進むことにも、一次的同一化primary identificationに向けて進みそしてそれを越えていくことにも、まったく何の可能性もない(Freud, 1923,p.14参照)。そして、そのほど良い“母親”(必ずしも幼児の実母ではない)とは、乳児のニーズに対して積極的適応を行うものである。積極的適応は、適応の失敗について説明できたり欲求不満の結果を容認できる幼児の能力の増大に従い、徐々に減じられていく。当然のことだが、幼児の実際の母親のほうが、他の人よりもほど良い母親でいやすい。というのは、この積極的適応には、1人で乳児に気楽に恨みなしで没頭することが求められるからである。実のところ、育児における成功は、献身の事実によって左右されるのであって、利口であるとか知的に高い教養とかによって左右されるものではない。ほど良い母親は、私がすでに述べているように、初めは乳児のニーズにほとんど完全に適応し、その後時間がたつにつれて、母親の失敗を処理する幼児の能力が増大するに従って、彼女は完全に適応するのを徐々に減らしていく。 幼児がこのような母親の失敗を処理する方法は、次のようなものを含む。欲求不満は時間が限られているんだということを、幼児はしばしば繰り返して体験する。当然のことだが、その期限は最初短いものでなければならない。
経過processという感覚の増大。 心的活動mentalactivityの開始。 自体愛的満足の活用。 思い出すこと、追体験すること、空想すること、夢見ること。つまり、過去、現在、未来を統合すること。
もしすべてがうまくいくならば、幼児は実際に、欲求不満の体験から利益を得ることができるようになる。というのは、ニードへの不完全な適応が、いわば、対象を愛されながら同時に憎まれるものにして、対象を現実的にするのである。その結果、もしすべてがうまくいくならば、ニードへの密接な適応があまりに長く続きられて、自然に減らすことを許されないと、それにより幼児は障害を受けることもある。なぜならば、正確な適応は魔術に似ていて、完璧に振る舞うような対象は幻覚にすぎないものとなるからである。しかし、最初は適応はほとんど正確である必要がある。これがそうでないならばは外的現実との関係を体験する能力を、あるいは外的現実についての概念を形成する能力さえも、乳幼児は発達させることを開始できない。