うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

花フェスタと、ヒポクラテスの誓いと、【つまり、治療が主であり、「論」は従だったのです。ところが時、経るにしたがって「論」すなわち「学」の地位が上がり、医療は医学の応用部門すなわち下僕になってしまいました。今日の目を覆いたくなる医療現場の荒廃の起源です。】


 今日は、夜勤明けで、豊橋の施設まで送迎し、はま寿司組になって、はま寿司でお寿司を頂いてから、帰りました。
親分班は、花フェスタに行ったようです。
 明日は日中が賑やかなので、何をしましょうか?



 本は、白柳先生の『身体の本』を少し読ませて頂きましたが、こんな考え方があるんだ!と個人的には目からうろこでした。
神田橋先生の前書きも秀逸なので、引用させて頂きます。
 下記は、医療で悩んだら、ヒポクラテスに戻れ!と言うと、中井久夫先生の本に書いてあったのを思い出しました。
ヒポクラテスの誓いを思い出したので、ウィキで調べました。


ヒポクラテスの誓い(日本語訳)

現実に医学部で使用されているものではなく直訳したものを記す。

医の神アポロン、アスクレーピオス、ヒギエイア、パナケイア、及び全ての神々よ。私自身の能力と判断に従って、この誓約を守ることを誓う。

この医術を教えてくれた師を実の親のように敬い、自らの財産を分け与えて、必要ある時には助ける。師の子孫を自身の兄弟のように見て、彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。著作や講義その他あらゆる方法で、医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。依頼されても人を殺す薬を与えない。同様に婦人を流産させる道具を与えない。生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。



この誓いを守り続ける限り、私は人生と医術とを享受し、全ての人から尊敬されるであろう!しかし、万が一、この誓いを破る時、私はその反対の運命を賜るだろう。


推薦の辞

伊敷病院 精神科医
神田橋 條治

 この本を上梓する意義は二点です。第一点は白柳さんの療治の技を世に遺すことです。瞬時に発現する効果も緩除に続発してくる心身の変化も、驚きで、あたかもドミノ倒しを見るようです。加えてオリジナルな治療論・病因論があります。それを要約すると、身体内部の組織間に生じている「癒着」を剥がすことで生体の自然良能が解放する、です。ドミノ倒しは自然良能のしわざなのです。波及効果は自律神経まで及びます。 優れた技の通例として、絶えざる感知と施術の効果のフィールドバックによる修正ご核心ですからマニュアルは不可能です。本のなかに描かれているように、療治の場での白柳さんは、感知と加療に全身全霊を傾注します。そのため、後進を陪席・見学させて解説するという現場での指導法はできません。以上の特徴が技の伝承を不可能にします。後継者は育たず「芸は一代」となってしまいます。そこでボクは療治を受けながら技を盗んで自分の患者に試行し、かなり満足できる効果を得たので、「ボクはただ一人の弟子である」と公言していました。ところが、ボクのやり方を見てもらったら「私がやっているのとは全然違います」と言われてしまいました。ボクの人生でいろいろな分野で「師」と仰いだ方々から決まって頂戴した評価ですから「アア、またか」とがっかり納得です。やはり創始者自身に記述を遺してもらうしかありません。〜

意義の第二点は、医療の発祥の時点での雰囲気が味わえる点です。「手当て」というコトバが残されているように、原初の医療は苦痛の軽減を目指していました。そして療治の結果を考察し次に備える方策とし、治療論・病因論が編み出されたのです。つまり、治療が主であり、「論」は従だったのです。ところが時、経るにしたがって「論」すなわち「学」の地位が上がり、医療は医学の応用部門すなわち下僕になってしまいました。今日の目を覆いたくなる医療現場の荒廃の起源です。「机上の理論」遺して呪縛から脱するのに、原初の医療に思いを馳せることが必須であり。あたかもモデルのような白柳さんの世界に触れることは、整体術に縁の内医療者の方々にも稗益するところが大きいと考えます。