今日も、夜勤明けでしたが、日中は寝ないで、給与計算をしようと思っていましたが、そこまでの気力はなく(笑)結局、本を読んだり、ギターを弾いたりしていました(笑)ちょっと緊急事態があり、1月末から多忙なので、いい息抜きになりました。
夕方、外出先で知人にあったら、あさりをくれました!渥美のあさりとのことなので、きっとおいしでしょうね。
キレイな(濾過した)海水も頂きました!
夜勤明けに、ファミマで本を読んで帰りましたが、アップは昨日読んだ箇所です。
色んな考え方があるんだなと、感心させて頂きながら読ませて頂きました。
イギリスの方々もそうですが、日々臨床に真剣に向き合って、本も沢山読んでも、治療や支援は難しいのに、自分なんかは、彼らの何十倍も勉強しないといけないな、と今日も落ち込みました......。
〜神田橋 そうです。だから、情緒を伴わない経験は身につかないというのはそういうことです。ただ記憶にプリントされているだけの記憶は、人生に役に立たない。そしてこの情緒を伴った記憶とフラッシュバックとは同じことなんです。脳のメカニズム的に。
白柳 はい。
神田橋 そしてここで問題になってくるのが胎児期の愛着障害です。フラッシュバックを起こしても――、たとえば「親である自分」がわが子に対してなんらかの反応をしたとしても、記憶があれば、それをたどれば、いま自分のした反応が、「子であった自分」とその親との関係を反復したものだと気づけるかもしれない。ところが胎児期の愛着障害は記憶がないからね「ここにフラッシュバックが起こっている」ことが認識できないのです。フラッシュバックしてくるのは気分だけだから。記憶だけだから、癒される道がない。
白柳 たとえば胎児期から五歳まで愛着障害のない人がいたとして、その人が六歳になって初めて愛着障害を引き起こすような事態に直面したとします。
神田橋 たとえば親が浮気した、とかね。親が浮気して夫婦げんかで家の中ががちゃがちゃになって、お母さんが家出した、とかね。
白柳 ――ああ、具体的ですね。そういう事態があった。しても、それから記憶の部分出癒しうる。でも胎児期の愛着障害だけは別格ということですね。
神田橋 はい。〜
〜白柳 発達障害は、体質的な話でしょう?でも、1章で先生がおっしゃったように、発達はしますから、時間が解決する部分がある。双極性障害が体質だけど、発達障害における「発達」のような変化はしないですから、つきあい方の話になるのだろうと思いました。
神田橋 ええとねぇ、それは双極性障害という現象系。双極性障害というのは現象でしょう。
白柳 気分の波、という?
神田橋 波という。これはボクが、もうひとつ底にある問題に対する反応だと思っているんですそれが、ボクがいつも言う「気分屋的に生きれば気分は安定する」ということですね。だからふつうの人よりも揺れが大きいように生きるように生まれてきている脳が、それを制御されるせいで大揺れになる。
白柳 結局、「そういうもんだ」というつきあい方――自分は気分が揺れる体質なんだというつきあい方をすると、時間で変わるとか発達していくというのではないけれども、つきあい方でなんとかやっていけるという意味で――。
神田橋 そうです。自分をとりまく状況というものを、自分で、自分の体質に合うように変化させるという形で適応していく。自分のほうが環境に適応するんでなくて。
白柳 はい。
神田橋 自分の波に合うような環境をしつらえて、そこに適応的な外界を作っていくという意味でやっていけばいいわけで。それが、双極性障害の人が事業に成功したり、いろんな仕事をしたりする理由なんです。 外界を変える。双極性障害の人は自分を変えるのでなくて、自分に合うように外界を設定するという形で自分に合った環境省探していくといい。放浪者とかそういうのでもいいですしね。その意味では、体質は変わらないというあなたの理解でいいわけ。
白柳 では愛着障害は環境との齟齬で、ある種、受け身的なものであり、発達障害は体質的、双極性障害も体質的なものである、と。そういう素質を持ったり・持たなかったりする個体が、なんとかまわりに適応しようとすその無理が、限界を越えたときに起こって具体的齟齬が適応障害、という理解でいいですか?
神田橋 そうですね。発達障害と愛着障害は、原因をその人の歴史に求めてつけたラベルです。適応障害は、「いま」。いまの本人の能力といま本人が置かれている状況とが、うまく調和していない、調和させることに失敗した状態が適応障害です。
白柳 はい。
神田橋 そうすると適応障害を起こすひとつには、愛着障害をもっているがゆえに適応障害を起こす人もあるし、発達障害をもっているがゆえに適応障害を起こす人もあるしました両方もっている人は著しく適応障害を起こしやすい。〜