うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

マッタケと、気圧がさがって来ました!と、【赤ちゃんの離乳体験とは、その後の人生でわれわれ誰しも遭遇するところの多くの状況の原型(プロトタイプ)と言っていいでしょう。すなわち、そこには別離、断念、変化、発展あるいは新しい活動範囲を暫時拡げてゆくといったことが含まれます。】


 マッタケを沢山頂き、ホームとは別に、職員さん達も1本ずつ頂きました!
カナダ産ですが、良い香りがしていました。明日夕食に出るのでしょうか?料理当番の職員さんは、プレッシャーですね(笑)
土瓶蒸しでしょうか? マッタケごはんでしょうか?楽しみですが、自分は夜勤でも遅番でもないので関係ない......。



 今日は、シフトでは休みでしたが、車椅子の方の送りがあったので、雨雲レーダーを見ながら、ちょうど良い時間に行かせて頂き、雨がかかることもなく、ほっとして帰って来ました。
 遠くから来ている職員さんには早く帰って頂きました。
外出が出来ないので、うたたね茶会(またまた......)を開催しました。今日はじっくり食べて、飲んで頂ける方ばかり(4名ですが)だったので、逆にお茶碗が空かず(笑)
ゆっくり点てさせて頂いてから帰宅しました。

 少し勢力が弱くなりましたが、まだまだ大型台風なので、心配です。


 アップは、マーサ・ハリスで、大分前に打ち込んでいた箇所です。
難しい所を読むからこそ、この文章が非常に分かり易くて、核心をついていると言うのが分かるのでしょうか?
 精神分析の基礎のような感じがしました。
 今日は、自宅待機です。夜勤は親分なので、大丈夫と思われます。

気圧もぐんと下がって来ました....。



第4章離乳について
 赤ちゃんに母乳を与えていた母親にとって、離乳はその心の奥深くに影響を及ぼすところの変化といえましょう。母乳の授乳は普通お母さんにとって楽しめる経験であります。ごくユニークな親密なありようで赤ちゃんに成長を充たし促す機会を与えるわけですし、赤ちゃんの満足にも充分に同一化できるわけであります。したがって離乳は、どんなに彼女が意識的にそれを導入させる意志があったとしても、やはりある種の‘断念する’ことには違いないわけで、子離れに直面することになるのです。それで、ほんの少し‘喪’を含むともいえましょう。赤ちゃんにとってと同様に彼女にとっても……。しかし授乳の経験が満足的なものであり、他にもいろんな母子共に楽しめる関わりを排除してこなかったとしたら、必ずしもそれほど難しく考えることはないでしょう。 赤ちゃんの離乳体験とは、その後の人生でわれわれ誰しも遭遇するところの多くの状況の原型(プロトタイプ)と言っていいでしょう。すなわち、そこには別離、断念、変化、発展あるいは新しい活動範囲を暫時拡げてゆくといったことが含まれます。もちろんそれも、まったくのところ初めてとはいえません。すなわち誕生、それこそが最初の別離であったわけですから。慰めと安心に満ちた胎内を諦め、そしてそれが未知なる世界に取って変わられたということ、それはひとえに未知なる成長の可能性へ向けてのことであります。離乳は諦めることを含むものではありますが、しかし前進をしてゆくという見方もできましょう。それまでに赤ちゃんが培ったところの能力を地固めしてゆくなり、さらなる発達を遂げてゆくうえでは必要不可欠なものなのです。