うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

台風一過と、『あいち・アール・ブリュット障害者アーツ展』搬出と、【「経験をとおして学ぶ」ということで避けられないのは、間違いをおかすということであります。】


 大変な被害が出た地域もあった様ですが、こちらの地域では思ったよりも被害がなく、取り敢えずはほっとしています。
ちょうど自分が夜勤だったので、風雨が収まるまでは、まめに巡回させて頂きました。


 夜勤明けでしたが(笑)名古屋の矢田ギャラリーで行われていた、『あいち・アール・ブリュット障害者アーツ展』の搬出に行って来ました!
最初、親分の運転で行っていましたが、高速にのったら危なかしいので、運転を代わりました(笑)
 おかもっちゃんのこの作品と

 天野さんのこの作品と

 優子ちゃんのこの作品は賞を頂き、3月にまた展示があるので、それまでは帰って来ません。
おかもっちゃんのは、奈良で行われる全国障害者文化祭にも出品されるので、戻るのはいつになるのでしょうか?

 小坂さんのは、ノベルティーグッズ用に採用される予定なので、こちらも直ぐには戻らないとのことでした。
みなさん、本当に素敵で、アート・コレクティブの鈴木先生も非常に評価してくれていました。本当にみなさんの地の力があるのでしょうね!

 でも、親分もおっちゃんもこれが本当は、本職なので(笑)現場がどんなに大変でも止められないのでしょうね(笑)。
ファッションでやっているわけではないし、これが自分たちのアイデンティティだと思っています。
 親分は、プロデュースするのがアイデンティティですが、おっちゃんは、思いを作品や音楽にぶつけるのがアイデンティティです。
おっちゃんは、音楽もファッションでしたことはなく、自分のアイデンティティは、小さい頃、実家の喫茶店で一日中流れていた、音楽の中にあるとも思っています。
 ただ、帰りは、親分得意のけちけち作戦で、1号線を走ってきたので、帰宅が先程でした.......。あの〜夜勤明けなんですが......。


 親分が、職員面談を午前中にしていたので、夜勤明けで帰宅してシャワーを浴びて、加齢臭を流し(笑)、本を読みながら名古屋に行くのを待っていた時に(説明が長いw)読んでいた箇所です。クラインを読む気力は無かったので、マーサ・ハリスを読ませて頂きましたが、読んでいるうちにこれって、また母親と支援者、赤ちゃんと利用者さんを置き換えれば、現場での話だよねってなってしまい、集中して読んでいました。


第2章 新生児の視点から見てまいりましょう。
 あなたの赤ちゃんはユニークな個性です!
 あなたの赤ちゃんは独特な個性的存在であります。他のどんな赤ちゃんとも違い、そしてあなたがこれまでに持ったどの赤ちゃんとも違い、これから持つかもしれないどの赤ちゃんとも違うといっていいでしょう。ちょうどそれは、あなた自身のパーソナリティが本質的かつ不変的なものをどれほど有しているとしても、あなたの子ども銘々にとっては微妙に少しずつ違うお母さんであるということにも似ております。 母子の関係性というものは、それぞれ互いの性質を了解し、馴染み合ってゆくといった能力が試みられるわけでして、それらをとおしてどちらもが双方共に育ってゆくものなのです。あなたの赤ちゃんが育ってゆくために食べ物、慰安そして空間を必要とするように、愛情深い関係性のもたらすところの安心感がまず必要とされます。そうであってこそ子どもは自らを表現し、それで彼自らを知ってもらえるようにもなるのであり、そして己自身、それに自らの多様なさまざまな感情についても学んでゆくわけであります。その身体的および情緒的ニーズへのあなた、反応をとおして、彼はあなたを知ってゆくのでありますし、世話をしてくれて愛おしんでくれる人への信頼をも培ってまいります。そしてその届けられた彼からのメッセージがあなたに的確に解釈されることをとおして、彼はまた彼自らを知ってゆくともいえましょう。 たとえば、もしもお腹が痛いとしましても彼はそれがどんなものなのかさっぱりわかりません。それでどうしたらいいのかですそして何とかして欲しいと思ってもどう訴えたらいいのかもわかりません。そして最初の時期ですと、母親であるあなたにしても、時としてはまったくどうなっているのやらさっぱりわからないといったことがありましょう。そのぐずる泣き声から、そしてもがくありさまを見て、それが何を意味しているのかを解釈しようとします。とりあえずおなかがすいているのかと察して、それであなたは授乳に取り掛かることでしょう。そのとおりであったならば、赤ちゃんはその痛みをもはや感じなくなりましょうし、そのニーズは充たされ、それで理解されたという思いも充たされることになります。
 しかしそうではない場合には、つまりそれはゲップが出せないだとか、もしくはおなかの調子が悪いということもありましょうから、おっぱいをもらっても、かつて適切な状況ではそれは慰めともなり安堵ともなったわけですのに、おなかの痛みがいっそうひどくなるということでしかないことになりましょう。そうしますと、彼は理解されず、つまり‘誤解された’という経験を味わうことになるわけです。

 「経験をとおして学ぶ」ということで避けられないのは、間違いをおかすということであります。つまり‘試行錯誤あり’というわけです。そうだとしたら、あなたは間違いを認め、そしてそれから学ぶということに対しても心を開いてゆけるものと思われます。もしもあなたが理想的な母親でなければならないとあまりにも高いハードルをご自分に課すことがなければの話ですが……。赤ちゃんが育ってゆくなかで、そして後には児童期そして青年期は通してですが、子どもたちにとって親との関わりで至極重要な体験になると思われますのは、わが子らを理解する上で間違いをおかすこともあると率直に認めましたいつも親だから正しいとは限らないということもわきまえており、だからたとえ間違っても次にもしチャンスがあればもっと違ったふうに振る舞おうと努力する、そうした親を持つことであります。