うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

【もしおしゃぶりがお母さんとの関係性にとって代わられるものとして赤ちゃんに常時与えられますと。そのいかにも一件落着といった状態がやがて高い代償を支払うことにもなりかねません。】


 昨夜、忘れ物を取りに、すろーじゃむに行き、喫茶店でカレーを食べていたら、10月1日はコーヒーの日と書いてあるポスターがあったので、お店の人に何か催しがあるのですか?って聞いたら、業界が勝手に決めただけなので、特に何もないとの事でした(笑)
 どこかでは、何かしているのでしょうか?まだ、検索していません。

 今日も一日、何事もないようにと、ひーひー王子と早朝に散歩に出た時に、咲いていた花を手折って、玄関の神さんに供えました。

 今日の日中は、賑やかだったので、2班に分かれました。親分班はカラオケを楽しまれたようです。

 おっちゃん班は志都呂のイオンに行ったり、すろーじゃむの湯入りに行ったりしました。

 あっと言う間に無事に一日が終わってしまったので、すろーじゃむの神さん?(笑)に、キノコを供えて(偽物w)きました。

 何故かしら?ひーひー王子がうたたねに無理やり連れて来られていたので、犬好きの方が、散歩に連れて行ってくれました。
朝は、まりちゃんが行ってくれたそうですが、早朝にも行きましたが.......。



 アップは、以前読んだ箇所です。
今回も、現場でこうありたいと思う箇所でした。


母乳について
 〜こうした親密に寄り添う関係性は、母親の自らのからだのなかに含むところのものに巡っての無意識の感情は深く影響され、かつ決定づけられるということがあります。すなわちこの水っぽい液体の性質とは何かということですが、多くのお母さん方は当然ながら初め懐疑的となるのです。哺乳瓶から出てくるミルクにわずかなりとも似てはいるわけですが、でもそっちのほうは計量できますし、かつ科学的に病原菌を煮沸消毒できるといったわけです。これらの不安感を宥めるための一番の助けになるのは、しっかりと吸ってくれて、満足げであり、そしてすくすくと成長してゆくところの赤ちゃんであります。でも少なからず赤ちゃんはしていくらか手助けがなければ、こうしたハッピーな状態に至ることはできません。 これがどうにか克服できたとしますとき、それでおそらく母親と赤ちゃんが共に親密で完璧な一体になることができて、そして誕生時に赤ちゃんがこの世に姿を現したときに失われた母子一体感のいくらかでも取り戻すことがでまきましょう。と言いますのは、誕生とは赤ちゃんそしてお母さんが双方にとっても‘喪失’なのですし、ショックでないはずはありません。誕生後にほんの少しの間でも、赤ちゃんをおっぱいに近づけて抱っこしてあげるならば、赤ちゃんは物質的な栄養といった点では何も求めないとしても、でもこうした母子の密着した一体感の喪失を大いに紛らわすことがでまきましょうし、そこから新たにまた違った意味での親密な関係性が築かれてまいりましょう。







 おしゃぶりについてこのようにモノに頼るということでは後になりますと、もしもわれわれが自らを子どもに対して情緒的に与えるにはあまりにも疲れはててしまい、神経過敏で、そして抑うつ的であるとしますと、つい子どもとの関係性でたくさんの補完物を持ち込むといったことに拍車が掛かるかと思われますけどわれわれはおのれ自身をお菓子やら、玩具、もしくはおしゃぶりなどの類いのものとして、そして子どもがしがみつくためのからだとして、つまり彼がその求め次第でいつでも手近に居ることを期待していいもの、彼のあとを付き従い、片付けるやらを常に彼のために良かれと思うこと、つまりは「転ばぬ先の杖」になってあげる、そうした‘都合のいい誰か’として子どもに与えてしまうことだってできるわけです。 われわれが無意識にわが子に対してこのように振る舞うことに陥ってしまうとしたら、事実それは長い目で見ると彼にとって生きてゆくことを決して容易にすることにはならないでしょう。その子は‘断念する’といった経験を持たず、それが何であれあまりにもしがみついてしまうわけですから、それでやがていつまでもしがみついている自分に腹を立てることをだってなりかねません。 もしもわれわれがわが子をプレゼントでもって気を逸らそうとすれば、それで彼を‘欲しがりやさん’にさせて、しかも決して満足を覚えることのない子どもにしてしまいかねません。つまりモノに対しての飢えというのは、それで情緒的な欠乏を充たそうとしても決してそうはならないということがはっきりしてまいります。
 おしゃぶりは普通ダミーと呼ばれるわけですが、事実そのとおり‘ダミー(偽のもの)’なのです。もしおしゃぶりがお母さんとの関係性にとって代わられるものとして赤ちゃんに常時与えられますと。そのいかにも一件落着といった状態がやがて高い代償を支払うことにもなりかねません。ですから、授乳したあと少しでも時間をとりで赤ちゃんを抱っこしてあげたなだめるやらでそして語りかけなどしてあげてみるのはいかがでしょう。そうしますとわれわれがしばし遠ざかったとしても、なおも彼を慰めてくれるところの‘理解してくれる誰か’が居てくれるといった経験をその内に抱えていられることになり、そうした彼にとって無理なく独りでも大丈夫にしていられるといったことになりましょう。その折、おしゃぶりを時としてその誰かさんを思い出すために必要とするかもしれませんし、もしくは全然それを必要としないかもしれません。
 たぶん、おしゃぶりは、ひどく忙しく家事にてんやわんやしていて、子育てに掛かるまえに活力を取り戻すのにまずは自分の時間が要るといった母親にとっては、一時役に立つ‘助っ人’としてあるとしたら大いに有り難いものといえましょう。それで彼女がいざわが子に向かい合ったときには、赤ちゃんに対してもっと自分を与えられるようになるためにも……。