うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

精米と、【「安定して確立されたよい対象は、その対象への安定して確立された愛情を含んでいるのだが、自我に豊かさと裕福さの感情を与え、それが消耗感なしに、リビドーのほとばしり)自己のよい部分を外界に投影することを許容する。】



 先日、玄米を約120kgくらい頂いたので、2回目の精米に昨日行ってきました。
台風も来るので、色々と準備をしないといけませんね。
 大きな勢力で来るので、心配です。無事通り過ぎてくれることを祈っています。





 本は、夜勤明け、朝食がてらうたたね横のファミマでコーヒーを飲みながら読ませて頂きましたが、アップは先日、読んだ個所です。
夕方、テレビで相模原での事件のことをやっていましたが、自己愛パーソナリティー障害........。
 ウィキペディアから引用しました。

診断基準

パーソナリティ障害の診断は、特定のパーソナリティの特徴が成人期早期までに明らかになっており、薬物やストレスなど一過性の状態とは区別されている必要がある。臨床的に著しい苦痛や機能の障害がない場合は、正常なパーソナリティである。

DSM-IV-TR



誇大性(空想または行動における)、賛美されたい欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。
1.自分が重要であるという誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)
2.限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3.自分が “特別” であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達(または団体)だけが理解しうる、または関係があるべきだ、と信じている。
4.過剰な賛美を求める。
5.特権意識(つまり、特別有利な取り計らい、または自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する)
6.対人関係で相手を不当に利用する(すなわち、自分自身の目的を達成するために他人を利用する)。
7.共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
8.しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9.尊大で傲慢な行動、または態度

— アメリカ精神医学会、DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル





 ちょうど、自己愛を読んでいたので、色々考えさせられました。



メラニー・クラインは、論文『同一視について』(1955)のなかで次のように述べている。


 ;">「正常の発達において、生後4ヵ月には、自我自らを統合し、その対象群を統合する能力が大きくなる結果として、迫害不安が減少し、抑うつ不安が前景に出てくる。このことは必然的に、いまや愛情と憎しみの双方を向けている対象へ(万能的空想のなかで)加えてしまった危害についての罪業感と悲しみとを引き起こす。すなわち、これらの不安と不安に対する防衛とが抑うつ態勢を表している……内在化は、投影過程にとってきわめて重要であり、とりわけ、内在化されたよい乳房は、自我の中心部としての役割を勤める。そして、そこから、よい感情が外界対象に投影されるのである。それが自我を強化し、分割と分散の過程に拮抗し、自己や対象の統合の能力を高める。このように、内在化されたよい対象は、統合され安定した自我にとって、また、よい対象関係にとっての前提条件のひとつである」(p.312)。


 彼女は「統合とは、生き生きとして、愛情深く、内界と外界のよい対象から愛されていることを含んでいる。すなわち、統合と対象関係との間には密接な連結が存在する。」と考えている。彼女は、同じ文脈の後半で次のように続けている「安定して確立されたよい対象は、その対象への安定して確立された愛情を含んでいるのだが、自我に豊かさと裕福さの感情を与え、それが消耗感なしに、リビドーのほとばしり)自己のよい部分を外界に投影することを許容する」。この論文の脚注で、クラインは、フロイトの「集団心理学と自我の分析」に言及しており、これを再読してみたところ、フロイトが主に関心を抱いていたのはとり入れについてではあったのだが、投影による同一化の過程について気づいていたと感じた、と述べている。もちろん彼女は、こうした場合には、出すことと入れることの間、とり入れと投影の間のバランスについて言及している。 ロゼンフェルドは、論文「自己愛の精神病理」(1964)のなかで、自己愛患者や自己愛状態の研究に乗り出していくことになった重要な見解を私たちに紹介し、次のように述べている。「自己愛対象関係においては、万能性が際立った役割を荷なっている。一般に、部分対象つまり乳房であるその対象は、万能的に呑み込まれている。このことはそれが幼児の所有物として扱われることを意味する。そして、母親もしくは乳房は、苦痛や不安をもたらすので望ましくないと感じられている自己の部分を万能的に投影する受け皿として用いられる」(pp.332−3)。



「同一化は自己愛対象関係において重要な要因である。それは、とり入れないし投影によって生じると思える。対象が万能的に呑み込まれると、自己は呑み込まれた対象と同一化していくので、あらゆる独自の同一性や自己と対象の間の境界は否認される。投影同一化において、自己のある部分は、望ましいものと体験されているある特性を乗っ取るために万能的に対象、たとえば母親に入り込み、それゆえにその対象もしくは部分対象であると主張する」。


〜とり入れ過程へのこのはなはだしい妨害と関連させて、とても若い患者たちにおける重症でたいていは不可逆性の精神病を考えて見たくなることもあろう。これらの患者たちは、よい子たちであり、よく学び、前途が楽しみな子だったと私たちは聞かされる。それはあたかも発病によって、それまであらわれていた外観が、有無を言わさず、突然に取り去られたかのようである。そして、剥き出しになった、おそらく完全に栄養不足になっている自我は、それまでは投影過程によって偽って維持されていたのだが、状況をなんとかするために呼び覚まされ、崩れてしまう。このような人たちでは精神崩壊が急速なことはよく知られている。〜


ロゼンフェルドは、対象関係が非常に理想的で望ましいものとして、分析家にどのように現れるのか、また、患者にどのように体験されているのかについてもふれている。トイレ−母親lavatory motherとの関係は理想的であると感じられる。なぜなら、患者は、セッションの間、不快なものはすべて分析家のなかに排出することができるところでやすらぎを感じるからである。 患者は、完全で理想的だと感じられる状況で、すべての満足いく解釈は自分の功績だと主張する。というのは、そのことがセッションの間、自分(患者)はよい存在で重要である、という感覚を高めるからである。これらの患者は、皆共通して、そうでなければ対象との関係で体験されるであろうすべてのよいものを自分が持っているという感じを抱いているようである。