うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ギターの弦と、【彼らは異性愛者でも同性愛者でもなければ、両性愛者ですらない。このことは彼らの同一化が、同化されていない内的対象と、その中で彼らが生活している外界対象との両者に依存しており、それゆえこのアイデンティティはその対象に左右され、対象のアイデンテ�


カーグの画題に(ハロウィンらしいですがw)キノコを作れとのお達しが出て、作っていますが、変な画像を見過ぎたのか?(笑)まともなキノコが出来ません.....。
ので、諦めました(笑)。固まったら色は付けようとは思っています。




 先日買った、ギターの弦をまだ張り替えていません。
今度の日曜日が、早、カーグとバンドの日なので、今日明日で張り替えます。





 今日は、自分の受診で豊橋まで電車で行ったので、沢山本を読む事ができました。
アップは先日読んだ箇所ですが、まだ同じ章が終わっていません。理解が難しく、調べたり読み返したりで、中々進んでいません。
 でも、本当に勉強になっています。簡単に精神分析なんか胡散臭いと批判される方が多くいますが、現場で応用して支援に活かすことができると、結果が出ていますが、そんなことを話しても、頭ごなしに批判するだけで、そういう輩は、見に来ることはないでしょうね(笑)人が作ったことや、やったことは簡単に批判できます。批判しかしない人は臨床や現場を知らないか、見ようとしない人間ですとはっきり言えます。日々支援させて頂いている支援者の話より、医者のいう事しか信じない(聴く耳がない)相談支援がいるのは如何なものでしょうか?と思う時が多々あります(笑)自分の中にない物は理解できないだけでしょうね!
 医者も日々見ていないので、今回の受診時に全く何もありませんでした!と(自分の事ですが)言えば、それを鵜呑みにしてくれるだけなので(本当は色々ありましたがw)、処方も変わらずでした。今回の自分の件に関して、医者だけの判断・言葉だけ信じるならどうでしょうか?本当に笑えますね!福祉ってまだまだそんなもんです。きちんと頑張っておられる方々もいるのは知っていますが......、自分たちの周囲は、特にそんなもんです(笑)



 下記はやはり技法的な感じがしました。


分割は、ある典型的な現象を強調するという、たとえそれが完全に満足すべき説明をもたらさないとしてもそうした利点をもっている」(ラプランシュとポンタリス 1967:p.429)。部分対象群、否認といった概念についても、これらは相互に関連する概念であるので、同様にコメントできるだろう。病的な部分対象と、全体へと統合されうる対象の一部分を形成しているという意味でのみ部分的である正常な部分対象とは、はっきりと区別する必要があると私は考えている。だから母親の乳房はさまざま部分が統合されてできあがった全体としての母親との対比においてのみ、ひとつの部分対象であるのであって、その機能としては、幼児の空想の中では、活動や愛や憎しみといった能力が授けられているひとつの対象のように機能しているのである。
 分割は正常発達においてもある役割を果たしているが、その例として、主体や対象でのよい面と悪い面との分割や、ある対象ともうひとつの対象との分割があげられる。しかし、精神分裂病者においては様相が異なっている。生後すぐの時期に由来する原初的で自然発生的な不安である迫害不安、自我の破局的な解体の恐怖にさらされて、彼は自分自身の悪い部分を排除しようと繰り返し強力に分割の機制を使い続けるが、それは対象や自我の断片化をもたらす。内的対象の断片化した部分や自我の断片化した部分は、それらの断片に属する衝動や不安とともに、いまや投影され否認された自己の分割排除された面を投影同一化の機制によって獲得した対象群に、投影される。これらの対象群は迫害者となり、とり入れられるが同化されず、立ち代わって今度は外界の対象に(もしくは精神内界の関係では内的対象に)投影され、この悪循環が続く。このうちのあるものをビオンは奇怪な対象群と呼んだのだが、これらの対象群は精神分裂病者ばかりではなくシゾイド患者の思索における要素として重要である。こうした過程は、対象もしくは自己の悪い面にのみ当てはまるというのではない。破壊への恐怖から、対象や自我の良い部分も同様に排除され、それらは、包み保護して守ってくれながら世話してくれるものと期待されている対象群に同様なやり方で投影される。
 精神療法の経過中、シゾイド患者はあたかも銀行に貯金するかのように自分の良い部分を守るために治療者に投影するのだが、その治療者を失うということは、自己および対象の一部を失うという意味でもあるので、彼は治療者を見失うと気が狂ったようになる。さらに、ゾイド患者の償いの活動はレンガで家を建てなおすかのような具体的な償いが基本なので、治療者に包み込まれたレンガを失うと、再建も不可能になる。私見ではあるが、このことがシゾイド患者が治療者との通常の転移関係を形成するのを拒む基本的な理由のひとつなのである。この不信感は本質的には正当なものであり、治療者はこれを理解しなければならないのだが、その不信感を解釈できなければ、シゾイド患者の信頼を得るのは非常に困難となる。こうした内的分割と同時に、治療者も良い対象群と悪い対象群に分割され、転移関係は長期に渡って常に変化し、不安定で断片化したものとなる。それは日によって変化するばかりでなく、セッション中でも分単位で変化する。

私がこれまで述べてきたことで、シゾイド患者の主要な問題は、アイデンティティの問題であるということが明らかになった。安定した自我を獲得することの大変な困難さは、欠陥をもったとり入れ同一化のせいであるが、それは、ものすごく猛々しくなってしまう破壊的で羨望に充ち、かつ、貪欲な衝動の投影によって創られた対象への恐怖や迫害的な感情のために非常に困難なものとなっている。彼らは異性愛者でも同性愛者でもなければ、両性愛者ですらない。このことは彼らの同一化が、同化されていない内的対象と、その中で彼らが生活している外界対象との両者に依存しており、それゆえこのアイデンティティはその対象に左右され、対象のアイデンティティや振る舞いによって変化するという事実は由来している。彼らは外側の殻もしくは甲羅は持ってはいるが、脊椎は持っていない。彼らは、借りたか盗んだかしたような殻の中の寄生虫のように生活しているが、このことゆえに安全を脅かされる感覚が生じる。