うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

九谷焼美術館と、【この2つの態勢の区別はとても明快であるが、ときどきそれが、この態勢の中にかなり異なった性質の精神状態が存在することを忘れさせる。】


 初日に加賀市まで行ったのは、京都時代から行きたかった、九谷焼美術館に行きたかったからです。
あいにく、お天気が悪かったので、庭園は歩けませんでしたが、紅葉(黄葉)まじかで美しい光景がありました。


 そんなにたくさんの名品が並べてあるわけではないのですが、魯山人先生が、日本の焼き物の最高峰は、青手の古九谷と言っていたように、自分も青手の九谷が一番好きです。

 青手の部屋の最後にこちらがありました。
3つの句は全て、茶道の極意を現わした句です。
中でも、新古今和歌集で詠まれている『見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮』という歌は有名ですね。藤原定家が詠んだ歌です。
 人は何故、生きているのか?自分には分からなくなる時があります。そんな時に、岡倉天心の『茶の本』と林竹ニ先生の『学ぶこと変わること』を読み、その意味を確認しますが、それでも中々分からなくなる時があるので、厄介ですね(笑)

 これで何十年もの思いが果たせました(笑)


 なんやかんやと用事を済ませるのに忙しく、本も読めず、体も動かせずやっと帰宅しました。
事務仕事が、沢山、しかも今月中にしないといけない物が........。明日から頑張ります(笑)



 本は、行く前に読んだ箇所です。少し難しいですが、妄想ー分裂態勢と抑うつ態勢のきちんとした説明がなされています。
もう少しでこの本を、読み終えます。次は最後の『メラニー・クライン トゥデイ3』に入ります。


要約すると:妄想−分裂態勢では、原初的性質の不安が未熟な自我を脅かし、原初的防衛を動員させる。分割、理想化、投影同一化が作動し、理想化されたよい対象群を創り上げ、それを迫害する悪い対象群から遠ざけている萌芽的構造を形成する。個体自身の衝動は同様に分割され、個体は全ての愛をよい対象に向け、そして全ての憎しみを悪い対象へと向ける。この投影の結果もたらされる不安は妄想性であり、ゆえにもっぱらの関心は自己の生き残りである。思索は、投影同一化による自己と対象の混乱のため、具体的な性質のものである(Segal 1957)。 抑うつ態勢は重要な発達上の進歩をあらわしており、そこにおいては全体絶えざる群が認識され始め、アンビバレントな衝動がその原初的対象へと向けられる。これらの変化は、経験を統合する能力の増大により生じ、一義的な関心、自己の生き残りから、個体が依存している対象への思いやりへとシフトする。破壊衝動は喪失感と罪業感を誘い、それらの感情を十分に経験できるようになり、その結果、哀悼が生じる。この結果には象徴機能の発達と償う能力の出現が含まれるが、これらは思索がもはや具体的なままではなくなっていることから可能となる。 この2つの態勢の区別はとても明快であるが、ときどきそれが、この態勢の中にかなり異なった性質の精神状態が存在することを忘れさせる。妄想−分裂態勢において、上に述べられたタイプの分割は正常と考えられ、解体的分割により生じる断片化の状態とは区別される。猛々しい投影同一化は、対象と自我の投影された部分の双方を細かな断片へと分割せしめ、しばしば離人感と極度の不安を伴った迫害状態を作り上げたりする。そのような状態は、敵意が優勢であり、特に羨望がよい対象群への攻撃を刺激する場合に生じよう。このような事態が生じると、よいと悪いの正常な分割は衰退し、混乱状態へと到りやすい(Rosenfeld 1950,Klein 1957)。そしてこのような状態は、とりわけ耐え難いようで、解体的分割へと到る。後に示すつもりだが、正常な分割の衰退により、患者は混乱し、混沌とした精神状態に対処する上で、手助けとなる、ある種の偽りの構造体提供する病理構造体の影響を被りやすくなる(Meltzer 1968)。〜