うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ブドウの葉と、イチゴの代替わりと、【メラニー・クラインは、自我の悪い部分だけでなく、よい部分も外界対象群のなかへと追い出され、同一化され、その外界対象群が、投影された自己のよい部分と同一化していく過程を描いている。彼女はこの同一化をきわめて大切なものと見た。なぜなら、子どものよい対象関係を発達させる能力にそれは不可欠だからである。】


 今日も、すろーじゃむの湯で、入浴介助がありました。
早めに行き、掃除や準備をしたついでに、すろーワイナリーを見て来ました。
 落葉樹の葉の寿命は約半年なので、そろそろこの葉は寿命が来ます。光合成のMAXは確か1ヶ月くらいだったでしょうか? 大分葉が痛んでいました。
落葉したら、剪定が始まります。思ったように枝が成長せず、来年の母枝をどれにしようか?悩むところです.......。

 イチゴは、代替わりが始まっています、古い株は枯れて来て、土に帰る準備をしているように見え、古い株と、新しい株の関係は、ビオンの言う【コンテイナー/コンテインドcontainer/contained】の関係のように見えました。



 今日も本を読み、朝の少し(1時間だけでしたが.....)空いた時間に、ジムに行きましたが、ストレッチと少しの筋トレだけになって、消化不良でしたが、夕方の入浴介助は、がっつり体を使うので、そちらで筋トレさせて頂いたようなものですね!

 投影同一化の、またまた復習になりますが、読み進めていると、同じクライン派精神分析家でもこの重要な理論の解釈の仕方が、色々ある様です。
自分的には、利用者さんを見させて頂いた上で、その方に一番合ったやり方でいいのでは?と素人なので(笑)思ってしまいました。




3.精神病状態の精神病理への寄与
精神病患者の自我構造と対象関係での投影同一化
 ハーバート・ロゼンフェルト

 本書は秘密のP.Doucet and P. Laurin (編)精神病の問題Problems of psychosis,The Hague :Excerpta Medica,115-28においては1971年に初めて出版された。


“投影同一化”はなによりもまず。早期の自我の分割splitting 過程と関連している。そこでは、自己のよい部分もしくは悪い部分は自我から排除され、それから、次の段階として、それらは愛情または憎しみとともに外界対象群のなかへと投影されるし、このことが自己の投影されました部分と外界対象群との融合や同一化をもたらす。これらの過程と関連している重要な妄想性不安がある。つまりそういう自己の攻撃的部分で充たされた対象群は迫害的になるし、また、それら自身[対象群]やそれらが包み込んでいる自己の悪い部分を自我のなかに強引に戻すことでそれら対象群が復讐しようと脅かしている、と患者には体験される。
 メラニー・クライン(1946)は分裂機制についての彼女の論文で、とりわけ、自我の後の発達段階での抑圧の重要性と同じような役割を早期発達の間に演じる分割、否認できる万能性の過程の重要性を検討した。ここで彼女は早期の幼児性の本能衝動を論じ、そこから「口愛リビドーがいまだに優勢な」間が「他の源泉からのリビドー的そして攻撃的衝動や空想が前面に現れ、口愛的、尿道的、肛門的欲望の合流をリビドー的側面攻撃的の両面からもたらす」と示唆している。乳房や母親の身体に向けられた口愛的な、リビドー的そして攻撃的衝動を検討した後、彼女は述べている:

 「別の攻撃の流れが肛門と尿道に衝動から派生し、それは危険物(排泄物)を自己の中から母親の中へと追い払うことを暗に意味している。憎しみをもって追い払われたこれらの有害な排泄物とともに自我の排除された部分も母親の中に投影される。これらの排泄物や自己憐悪い部分は対象を傷つけるだけでなく、対象を支配し、所有することをもくろんでいる。母親が自己の悪い部分を含んでいる限り、彼女は別個の人物とは感じられず、悪い自己と感じられる。自己の部分への憎しみのほとんどは、いまや、母親に向けられる。このことは攻撃的な対象関係のひな型を築く特殊な型の同一化をもたらす。これらの過程に私は投影同一化という用語をあててみたい」


 同じ論文のあとの方で、メラニー・クラインは、自我の悪い部分だけでなく、よい部分も外界対象群のなかへと追い出され、同一化され、その外界対象群が、投影された自己のよい部分と同一化していく過程を描いている。彼女はこの同一化をきわめて大切なものと見た。なぜなら、子どものよい対象関係を発達させる能力にそれは不可欠だからである。しかしながら、もし、この過程が度を越すと、自己には、人格のよい部分は失われていると感じられ、それは自我の脆弱化や貧困化を産み出す。メラニー・クラインは、対象の中への強引な侵入と関連する投影過程の側面や、すでに私が指摘したこの過程と関連し迫害不安をも強調している。彼女は投影同一化と関連した妄想性不安がいかにとり入れの過程を妨げるかについても記載している。「とり入れは妨げられる。なぜなら、それはすさまじい投影への報復としての外界から内側への強引な侵入と感じられるからである」。メラニー・クラインが“投影同一化”の名称を、自我分割の過程と自己の部分を対象群のなかに投影することで創り上げられる「自己愛」対象関係との両者に与えていることは明らかである。“投影同一化”はなによりもまず。早期の自我の分割splitting 過程と関連している。そこでは、自己のよい部分もしくは悪い部分は自我から排除され、それから、次の段階として、それらは愛情または憎しみとともに外界対象群のなかへと投影されるし、このことが自己の投影されました部分と外界対象群との融合や同一化をもたらす。これらの過程と関連している重要な妄想性不安がある。つまりそういう自己の攻撃的部分で充たされた対象群は迫害的になるし、また、それら自身[対象群]やそれらが包み込んでいる自己の悪い部分を自我のなかに強引に戻すことでそれら対象群が復讐しようと脅かしている、と患者には体験される。
 メラニー・クライン(1946)は分裂機制についての彼女の論文で、とりわけ、自我の後の発達段階での抑圧の重要性と同じような役割を早期発達の間に演じる分割、否認できる万能性の過程の重要性を検討した。ここで彼女は早期の幼児性の本能衝動を論じ、そこから「口愛リビドーがいまだに優勢な」間が「他の源泉からのリビドー的そして攻撃的衝動や空想が前面に現れ、口愛的、尿道的、肛門的欲望の合流をリビドー的側面攻撃的の両面からもたらす」と示唆している。乳房や母親の身体に向けられた口愛的な、リビドー的そして攻撃的衝動を検討した後、彼女は述べている:
 「別の攻撃の流れが肛門と尿道に衝動から派生し、それは危険物(排泄物)を自己の中から母親の中へと追い払うことを暗に意味している。憎しみをもって追い払われたこれらの有害な排泄物とともに自我の排除された部分も母親の中に投影される。これらの排泄物や自己の悪い部分は対象を傷つけるだけでなく、対象を支配し、所有することをもくろんでいる。母親が自己の悪い部分を含んでいる限り、彼女は別個の人物とは感じられず、悪い自己と感じられる。自己の部分への憎しみのほとんどは、いまや、母親に向けられる。このことは攻撃的な対象関係のひな型を築く特殊な型の同一化をもたらす。これらの過程に私は投影同一化という用語をあててみたい」

 同じ論文のあとの方で、メラニー・クラインは、自我の悪い部分だけでなく、よい部分も外界対象群のなかへと追い出され、同一化され、その外界対象群が、投影された自己のよい部分と同一化していく過程を描いている。彼女はこの同一化をきわめて大切なものと見た。なぜなら、子どものよい対象関係を発達させる能力にそれは不可欠だからである。しかしながら、もし、この過程が度を越すと、自己には、人格のよい部分は失われていると感じられ、それは自我の脆弱化や貧困化を産み出す。メラニー・クラインは、対象の中への強引な侵入と関連する投影過程の側面や、すでに私が指摘したこの過程と関連し迫害不安をも強調している。彼女は投影同一化と関連した妄想性不安がいかにとり入れの過程を妨げるかについても記載している。「とり入れは妨げられる。なぜなら、それはすさまじい投影への報復としての外界から内側への強引な侵入と感じられるからである」。メラニー・クラインが“投影同一化”の名称を、自我分割の過程と自己の部分を対象群のなかに投影することで創り上げられる「自己愛」対象関係との両者に与えていることは明らかである。