うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

すろーじゃむの湯と、【解釈を必要とした以前の素材のエディプス的含みにもかかわらず、自己の大人部分と幼児部分の区別がこのように根気強く達成されて初めてでエディプス葛藤が十分に体験できることが理解される。】


今日は、すろーじゃむで、入浴介助をさせて頂き、うたたねに戻ろうとしたら、空がきれかったので、思わず写してしまいました。
夕日がきれいな地域なので、いつも楽しみです。しかし、日が段々短くなっていくので、何月まで見る事が出来るのでしょうか?
 湿度が高かったので、余計に赤いのでしょうか?




 すろーじゃむの湯は、本当に気持ちが良いですね。おっちゃんは、入浴介助でお役御免でしたので、掃除して汗をかいたので、洗濯が終わるまで浴槽に飛び込んでみました(笑)お湯に浸かると、皆さんが気に入るのが分かるような気がしました!料理と一緒にしたら怒られるかもしれませんが(笑)大量に(限度はありますが)作ると美味しく感じるようなものでしょうか? 違うかな(笑)



 
 今日はいつ本を読んだのか? (笑)バタバタした一日でした。
本は、ロゼンフェルトに入りましたが、もう一回だけ、メルツァーを!
 フロイトやクラインをもう一度読み直さないと、理解できないことだらけです(笑)


分析過程
 〜私の経験では、新たに修飾されたり、“分析された”形での偽-成熟による業績を分析家に理想化させようとする誘惑がわかった分析家によってはっきりと敵対されているときには、みせかけの“現実的”理由から、分析が患者によって無理やり中断されることがある。これは、地理上の移動や婚姻上の変化を工作したり、親や配偶者が反対するように煽ったり、分析の支払いができなくなるような経済的拘束となる契約を結んだりしながら、一方では、いまだに理想化された陽性転移にしがみつくことで成し遂げられる。分析的に貫き通していくには、猛々しい陰性転移や露骨な非協力が長い間続くのを覚悟しなければならないし、ときには手に負えなくなることがある。このことは、無垢さが傷つけられたとか自己憐憫となって現れたり、分析家が肛門マスターベーションが実際に存在しているし、続いているだろうとほのめかしているのは、独断的な見解か投影、もしくは外部から(たとえば、スーパーバイザーから)の干渉の現れである、とたえず嘆くといった形で出現する。
 夢が絶えず明確にしてくれるおかげで、分析家はなんとか困難に屈せずやり通せる。ゆっくりではあるが、意識的に連想を控えたり、身体上の習癖に細かい注意を向けるといった協力が増してくることで、分析家は秘密の肛門マスターベーションを明るみに出せる。これとともに、食物を与える-乳房転移がふん便-の-理想化によりもたらされていた拘束を打ち破る。こうして初めて、分離不安が苦痛。伴っている、分析的には実りの多いものとして本格的に経験されるようになる。 強迫性格論との関連が分析過程のこの時点で明らかになる。転移では,エディプス・コンプレックスと性器的そして前性器的側面が最前景に出て来るので、偽-成熟と強迫状態間揺れが起こるのが見てとれる。解釈を必要とした以前の素材のエディプス的含みにもかかわらず、自己の大人部分と幼児部分の区別がこのように根気強く達成されて初めてでエディプス葛藤が十分に体験できることが理解される。