うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アイスクリーム屋さんと、【もっともよくあるタイプ(フロイト、アブラハム参照)は、ふん塊それ自体マスターベーション。刺激物として利用するものである。ふん塊を我慢していようと、ゆっくり排泄したり、律動的に少しずつ排泄したり引っ込めたり、あるいは急速に力んで痛みを伴いながら排泄しようと、それは自我状態を変化させる無意識の空想を伴っている。】


今日も賑やかな一日でしたが、職員同士の連携がきちんとできていて、安心して支援ができました。まあ、今日は中核として働いてくれている職員ばかりでしたが。
おっちゃんはアウトドア派なので、どうしても外に行きます(笑)。昨日も違うメンバーといったアイスクリーム屋さんに行きましたが、今日はおっちゃんの財布に、160円しかなく、お水だけ頂いてきました(笑)まあ、昨日食べたんでと、自分に言い聞かせながら(笑)皆さんが食べているのを指をくわえて見ていました......。今日も、全員で行けなくて申し訳ありません。

 3大介助はできて当たり前で、利用者さん達の心にどうやって接近して行くかが、一番重要なことだと思っています。そのために今は、精神分析の勉強をさせて頂いています。最初は馬鹿になれなかった職員が、接近するのに傍目からは、馬鹿にみえるようなやり方で、上手く接近しているのを見せて頂くと、負けたな.....と思ったりもします。(笑)勝ち負けではありませんが、競い合う事も、時には必要ですね!
 先程、夜勤が多い介護福祉士と、全ての時間帯に入っている看護師が、日中も最近楽しくて!あんたも日中においでと話していました。(笑)確かにすろーじゃむのある日(日中にショートの方々もおられますが)は、利用者さんも、支援者も楽しそうです。
 今日は夜勤者が、介護福祉士で、遅番が看護師だったので、急に6時からの勤務(本当は12時から21時の遅番でしたが)で、理由があり21時まで仕事になっていたのを心配して帰ってくれと(笑)言われて、19時に帰宅しました。頭は、外も中も何もありませんが(笑)体力だけは自信があるのですが、お言葉に甘えて、帰らせて頂きました。
 いつもは定時で帰らされています(笑)


 親分は、夜勤明けで、送迎の職員の運転で名古屋まで作品の搬入に行って、夕方戻り、赤ん坊のように瞼が明けられず(笑)日勤の職員の帰宅する車に乗せてもらって帰宅しました。(笑)
看護師が、今日も一日無事に過ごせたねと、夜勤者と話しているのを聞いて、安心して帰って来ました。
 本当に皆様に感謝しています。ありがとうございました!





 6時入りでしたが、めっちゃ早起きして(笑)うたたね横のファミマでコーヒーを頂きながら、本を読みました。
ちょうど、この辺りの解釈が必要な方がおられるので、真剣に読ませて頂き、中核となってうたたねで働いて頂いてる職員にはこの辺りの情報を共有し始めています。
 パッと見、刺激過ぎる言葉が並んでいますが、前回・前々回と見てくれている方には少しは、意味理解をしてくれていると思っています。額面通りではなく、あくまで参考にして自分たちの現場で起きていることを、真剣に見て行けたらと考えています。



秘密の肛門マスターベーション
 転移から再構成してみると、肛門マスターベーションは、子ども時代のごく早期に隠され、青年期やそれ以降に明らかな倒錯が姿を現すときを除いては、その重要性は気づかれず、認識しないままになりやすい。私がそれを“秘密の”cryptic と呼ぶのは、くわしい検索から覆い隠してしまうその無意識の手腕をここで強調するためである。
 もっともよくあるタイプ(フロイトアブラハム参照)は、ふん塊それ自体マスターベーション。刺激物として利用するものである。ふん塊を我慢していようと、ゆっくり排泄したり、律動的に少しずつ排泄したり引っ込めたり、あるいは急速に力んで痛みを伴いながら排泄しようと、それは自我状態を変化させる無意識の空想を伴っている。この心の状態の変化は、子どもの患者がセッションの途中で排便して戻って来たときに見てとれる。トイレで読書する習慣や肛門を清潔にする特殊な方法、悪臭を残すことへの並外れた心配、下着についたて便のしみへの不安、いつも指の爪が汚れていたり、こっそりと指の臭いをかぐなどは、断定こそできないものの、秘密の肛門マスターベーションの徴候である。しかし、肛門マスターベーションは排便行動とはまったくかけはなれたところに巧妙に隠されている場合もある。たとえば、入浴習慣、きつい下着の着用。サイクリングや乗馬などお尻に刺激を与える活動に隠されている。なかでも、所在を明かす上でもっとも困難なのは、性器的性関係において肛門マスターベーションが隠されている場合で、その場合必ず多少とも、肛門と膣がいまだに互いに混同されている。一方で、ポーの『盗まれた手紙』のように、人目にとまりやすいこともある。便秘のときの浣腸や再発を繰り返すこそのための座薬はまさにそうであるが、しかし、その意味は否認されている。
 患者のカウチでのふるまいについてふれたり、それについての連想を求めることは私は技法としていないが、姿勢や動作のパターンを吟味し、それらを夢素材とつなげると、ときにはそれを振る舞いについての実りの多い解釈ができる。この手段により、肛門マスターベーションについては一連の変形が明らかにされるし、実際の肛門刺激をずっと上手に検索できる。たとえば、よく両手をポケットに入れていた患者は、ある夢を通して、ポケットに手を入れながら、ときどきほつれた糸をひっぱっていることを認めた。これにより、彼には、排便に先立ち、出て来ようとしているふん便の形を壊さないように、肛門周囲の毛を手ですく習慣があることがわかった。










盗まれた手紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
「盗まれた手紙」(ぬすまれたてがみ、The Purloined Letter)は、エドガー・アラン・ポーの短編小説。「モルグ街の殺人」「マリー・ロジェの謎」に続き、C・オーギュスト・デュパンが登場する推理シリーズの三作目にあたる。ある大臣が政治的な陰謀から「とある貴婦人」の私的な手紙を盗み出し隠匿するが、依頼を受けた警察がいくら捜索しても見つけることができない、という事件をデュパンが鮮やかに解決する。しばしば「デュパンもの」三作中で最も完成度が高いとされる作品である。『ザ・ギフト』1845年号(1844年発行)初出。1845年に作品集『エドガー・A・ポーの物語集』に収録された。


あらすじ

とある秋の夕暮れ時、語り手が寄宿しているオーギュスト・デュパンの屋敷に、パリ市警の警視総監であるG...が訪ねてくる。彼はある「珍妙な事件」に手を焼いており、デュパンの助言を請いに来たのだった。それは宮殿において起こった出来事で、「さる高貴な貴婦人」が閨房で私的な手紙を読んでいるとき、ちょうどその手紙のことを知られたくない男性が入ってきたので、引き出しにしまう時間もないままやむを得ずテーブルの上において誤魔化していたところ、そこにさらにD...大臣が入ってきた。彼はすぐにテーブルの上の手紙を見てそれがどういう性質のものであるかを察すると、彼女に業務報告をしたあとでその手紙とよく似た手紙を取り出して読み、その後でテーブルの上に置いた。そしてさらに業務報告を続けた後、帰り際に自分が置いたのでないほうの手紙をまんまと持ち去ってしまった。大臣はこの女性の弱みを握ったことで宮廷内で強大な権力を得るようになり、困り果てた女性は警察に内々の捜索を依頼したのだった。
その手紙の性質上、それは何かあればすぐに取り出し、場合によっては破棄できるように、間違いなく大臣の官邸内にあるはずであった。また身体調査が行なわれる危険を考えれば、大臣が肌身離さず持ち歩いているとは考えられない。警察は大臣の留守の間に官邸を2インチ平方単位で徹底的に調査し、家具はすべて一度解体し、絨毯も壁紙も引き剥がし、クッションには針を入れて調べるという具合で三ヶ月も続けたが、一向に成果が上がっていなかった。事件のあらましを聞いたデュパンは「官邸を徹底的に調査することだ」とだけ助言してG...を帰した。一ヵ月後、再びG...が語り手とデュパンのもとを訪ねてくる。あれから捜査を続けているがいまだに手紙は見つかっておらず、手紙にかけられた懸賞金は莫大な額になっているという。そして「助けてくれたものには誰にでも5万フラン払おう」と言うと、デュパンは小切手を出して5万フランを要求し、サインと引き換えにあっさり件の手紙を渡す。そしてG...が狂喜して帰っていくと、デュパンは語り手に、自分が手紙を手に入れた経緯を説明し始める。
デュパンは事件の経緯や警察の徹底的な捜索、そして大臣の知性を考え合わせて、大臣は手紙を隠すために、それをまったく隠そうとしないという手段に出たのだと推理していた。デュパンは官邸の大臣のもとを、目が悪いのだという口実のもと緑色の眼鏡をかけて訪れ、大臣と世間話に興じる振りをしながら部屋を見渡すと、すぐに壁にかかっているボール紙でできた安物の紙挿しに目をつけた。そこには一通の手紙が堂々と入れられており、それは予め聞いていた件の手紙の特徴とは似ても似つかないボロボロの手紙で、大臣宛の宛名も記されていた。しかしデュパンはこれこそが求める手紙であり、手袋のように裏返しにされて別の手紙のように見せかけているのだと確信し、いったんは官邸を辞去する。そして後日、煙草入れを忘れたという理由で再び官邸を訪れると、予め雇っておいた酔っ払いに騒ぎを起こさせ、大臣がそれに気を取られている隙に、それとよく似せた別の手紙とすりかえたのだった。


解題
「盗まれた手紙」は「モルグ街の殺人」「マリー・ロジェの謎」に続き、C・オーギュスト・デュパンのシリーズ第三作であり、三作中もっとも高い評価を受けている作品である[1][2]。作者のポー自身、発表前にジェイムズ・ラッセル・ローウェルに宛てた書簡の中で「おそらく私の推理物語(tales of ratiocination)のうちで最高の出来」と書いている。また「盗まれた手紙」は、後世の推理作家がしばしば用いる「隠したいものをあえて隠さないことによって相手の盲点をつく」いわゆる「盲点原理」を創案した作品であると考えられる[3]。江戸川乱歩はこの原理を応用しているチェスタトンの『見えない男』も、おそらくポーのこの作品から着想を得たのだろうとしており、またコナン・ドイルの『ボヘミアの醜聞』については、これはほとんど「盗まれた手紙」を模して書かれたもので、しかし面白さにおいても文学的価値においても「格段の違いがあり、模して及ばざるのはなはだしきものであろう」と評している[4]。
フランスの精神分析家でありポストモダニズムの思想に大きな影響を与えているジャック・ラカンは、その主著『エクリ』(1966年)の巻頭に収められた「『盗まれた手紙』についてのゼミナール」の中でこの作品を読解しており、作中で繰り返される手紙が盗まれる場面を反復強迫に、「手紙」を対象aあるいはファルスに見立てて自身の精神分析的認識を示した。同じくポストモダニズムの思想家であるジャック・デリダは「真実の配達人」[5](『葉書』所収、1980年)において、「ゼミナール」にある「手紙は必ず届く」というテーゼに対し「手紙は宛先に届かないこともある」と批判した。日本の東浩紀の主著『存在論的、郵便的』(1998年)もデリダの主張に沿って論を展開し、脱構築不可能なもの(手紙)を最終的な真理とみなしそこに安住するラカン否定神学であるとして批判している[6]。ラカン派の思想家スラヴォイ・ジジェクデリダの批判を「常識にもとづいた原始的な反応とでも呼ぶべきものに過ぎない」とし、「手紙」の「真の受取人」は、経験的な他者ではなく「大文字の<他者>すなわち象徴的秩序そのものである」としている[7]。