うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の散歩と、【しかしながら、分析家はまた、自分が無意識的に認知している事柄を、意識的に明確にし、それを患者が理解できる形で伝えることができなければならない。これは、つまるところ全ての精神分裂の本質である。】


今日も猛暑でしたが、水分補給と休憩をまめにとって、朝と、お昼に散歩に行きました。
朝は、白谷の海水浴場に行きました。海水浴はもうしていなかったので、車で乗り付けました。
 暑いので、何名か泳いでいました。こんなに早く開放するのは、通常通りだったでしょうか?
まだまだ、海水温も高そうですが、お盆を過ぎたら、足を引っ張られるって言いますもんね(笑)


 暑いので、ゆっくり休憩しながらと思いましたが、ご一緒させて頂いた方が、青年なので、半分はジョギングでした。
時間があれば、ジムに通っているので、体力はあるので大丈夫ですが、とにかく暑いですね!

 お昼からは、日陰の多い、滝頭公園を歩きました。




 今日も早朝に出て、うたたね横のファミマでコーヒーを頂きながら本を読みました。

 福祉の現場でも、逆転移を上手く使って支援方法を考えて行くと(むかついてそのまま利用者さん達に返している職員が多いですが.....)上手くいきそうな感じがしますが、それを感じ取れるまでに、精神分析家たちは、10年、20年と自分が分析を受けるのでしょうね。大変な事です....。
 そこまでは、まあいいと割り切って(笑)参照させていただき、支援に役立てようと思っています。
 下記の2つが、今日のキーポイントでしょうか?

『私の考えでは、患者が伝えようとしていることを精神療法家が無意識的に直感的に理解することは、全ての分析において欠くことのできない要因であり、それは一種の感度のよい“受信機”としての逆転移を用いる分析家の能力に依存している。』

『しかしながら、分析家はまた、自分が無意識的に認知している事柄を、意識的に明確にし、それを患者が理解できる形で伝えることができなければならない。これは、つまるところ全ての精神分裂の本質である。』







症例提示での問題
 このように1つのある側面を提示する場合、患者のもたらした全ての解釈を再生するのは不可能である。このように極めて重篤な患者では、分析家は、患者が言う、あるいは言おうとする全てを理解することはできないということも心にとめておかなければならない。しかしながら私は、自分の体験を言語化するのがとても難しいこのように深く退行した患者が空想持続的な関係を維持するに足るほどに明白なだけではなく、転移状況での罪業葛藤と彼がその葛藤を取り扱おうとしている方法や手段を十分詳細に描写しているやり方でも、自分の問題を私に伝えたことを提示できるだろう。
 私は患者との私の言葉によるふれあいを描写することに主に関心があるので、言葉による解釈の重要性を論議する必要がある。なぜならば、急性の精神分裂病における解釈の重要性を否定するアイスラーのような分析家がいるからである。アイスラーは分析家の心の中の一次過程を精神分裂病者が認知することを強調した。そして彼の考えによると、治療の結果を左右するものはこれらの一次過程であって解釈ではない。私はこれを、精神分裂病者はきわめて直感的であり、患者と無意識に協調している治療者から援助を得られるようであるという意味に理解する。アイスラーは、精神療法家が意識的に精神分裂病患者を理解しているかどうかと考えることは重要ではなく、自己欺瞞に通ずるものと見なしているようである。「急性期に解釈が用いられた場合、解釈と臨床上の回復との間に特異的な関係があるという印象を私は持たなかった。他の一連の解釈が同様の結果を収めていたかもしれないと考えることもできるだろう」と彼は書いている。 私の考えでは、患者が伝えようとしていることを精神療法家が無意識的に直感的に理解することは、全ての分析において欠くことのできない要因であり、それは一種の感度のよい“受信機”としての逆転移を用いる分析家の能力に依存している。言語能力に非常に大きな問題のある精神分裂病者を治療する際、逆転移を通しての分析家の無意識的な直感的理解はより重要である。なぜならば、逆転移は分析家が何かが実際に重要かを決定する際の手助けとなるからである。
 しかしながら、分析家はまた、自分が無意識的に認知している事柄を、意識的に明確にし、それを患者が理解できる形で伝えることができなければならない。これは、つまるところ全ての精神分裂の本質である。しかしながらそれは、意識的に機能する能力をかなり失っていて、そのために手助けかまなければ、時にはとてもなまなましい無意識の体験を意識的に理解することができない精神分裂病者の治療にとりわけ重要である。このことのために、次のような素材を提示する際に、私は常に私の解釈に対する患者の反応に注意しておく必要があったし、患者が用いることのできる形で確かに解釈することが出来るようになるまで、私は手探りで進まねばならないことが多かったことを読者に覚えておいて欲しいと思う。