うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

朝食の準備と、【私が強調したい点は、自己の性質の明るい面と暗い面、対象の明るい面と暗い面の統合が可能になるのは、理想化の流れと迫害の流れ双方が適切に発達しているときのみであるということです。】


 今朝は、夜勤明けで朝食を10人分用意させて頂きました!
大体は、前夜の内に支援員や世話人さんが下ごしらえしてくれるので、温めたり刻んだりするだけですが(笑)
 うたたねは、朝と夜が一番忙しい時間帯です。
月曜日と水曜日と土曜日と日曜日は、日中も大変忙しいですが、朝と夜は、毎日忙しいです。
 それでも、皆さんの顔の表情をきちんと見させて頂き、引継ぎ・受給者証の記入や、記録の記入等、こちらもきちんとしないといけないので、仕事に慣れていない職員は大変です。朝に利用者さん達の様子をきちんと見させて頂こうと思うと、皆さんが寝られた後、洗濯を早く乾かせて畳んでおくと、皆さんの起床時に、きちんと表情など見せて頂くことができるし、日中に入る職員が楽だったりで、一石二鳥です。
 うたたねは、グループホームの定員は5名で、ショートステイの定員も5名なので、多い時にはそれくらいの方々の支援をさせて頂いています。
人数的に少ないと思われる方が多いですが(笑)、一人ひとり非常に個性があったり、少人数で支援させて頂くので、忙しい時間帯は、慣れていないと本当に大変だと思われます。
 今日は、理事の差し入れで頂いたメロンもありました!


 色々と親分と用事をこなしてから、夕方帰宅しました。
ギターを少し弾いてから、本を読ませて頂きましたが、アップは昨日、昼食時に読んでいた箇所です。
 
 本当に勉強になる本です!



発達としての理想化――二人の重篤な剥奪を受けた少年

 私が強調したい点は、自己の性質の明るい面と暗い面、対象の明るい面と暗い面の統合が可能になるのは、理想化の流れと迫害の流れ双方が適切に発達しているときのみであるということです。ここに量的に考察することが重要である点があります。明るい希望を持つ能力がひどく未発達の患者においては、理想化が少し増大したからといって、絶望や不安にその度に注意を向けさせるべきではありません。彼らが最終的にやろうとしているのは、それらへの防衛ではなく、それらを克服することだからです。

分離性が認められ対象は自分だけでなく他者と共有されなければならないという、成熟した抑うつポジションの発達という観点から見れば、この理想の車の中には「防衛的」要素があるかもしれません。しかし、母性対象は共有される前に所有される必要があるのも確かではないでしょうか。夢は、捨て去ることのできる前にまず夢見られる必要があります。

〜どちらの治療者も、セッションの前半に繊細で注意深い仕事をすることで、患者が、自分たちのために特別にあると感じられる、広々として守ってくれる利用可能な対象というものを心に抱くところまで達することを可能にしました。違いは、その車の情景のところにようやく来たときに、その意味をどう理解するかにはありました。私が思うに、アンドリューがそこに達することを可能にしたのは、おそらく、S先生がセッションの前半に彼の優しい所有欲望を探索したことに加えて、後半に彼の怒りに満ちた所有欲望を探索したことが合わさったことでしょう。これほど広い範囲の環状が理解されうることをアンドリューが学び、それによってこそ、自分のために広々としたスペースを空けておいてくれ、体験に優しい光を投げかけてくれる対象という考えを彼は得たのです。それから彼は、先に進んで、ロールスロイスの有能性によって治療者に印象づけることができました。
 自閉症児との治療、さらに言えば、想像能力を十分発達させていない患者との治療において、この点で興味深い技法上のジレンマがあります。それは、空想における患者の喜びをたんに記述するべきなのはどのような場合で、それを転移上の意味と結びつけるべきなのはどのような場合かというものです。Winnicott的に遊びをそのものとし敬意を払うことが大切なときもありますし、あまりに時期尚早な転移解釈が子どもが定式を達成しようとしている過程自体を阻害するかもしれないときもあります。しかし、遊びを治療者との関係につなげる発言がその体験を強化し、それをより堅固で永続的な土台に基礎づけるかもしれないときもあります。S先生の技法で大切なことは、アンドリューが空想において理想対象を実際に持つことを許容したことです。彼女は、それが彼が持ちたいと願っているだけで本当は入手不能な対象であるかのように話すことで、彼からその対象を取り上げたりはしませんでした。しかしながら私は、彼女は新しい希望や理想化という新しい発達、より正確に言うならば理想対象という新しい発達を阻害しない転移解釈をすることができたのではないかと思います。それどころか、例えば仮に治療者が、彼は治療者の心には自分のいるスペースがたくさんあると感じ始めていることを指摘していれば、そのような解釈は、彼の生きている人間対象との接触の増大を強化したでしょうし、過剰に理想化された心的状態を阻止したかもしれません。これをしないと、セッション終了時の気持ちの墜落と落胆に繋がっていたかもしれません。 Hedges(1983)は、『心理療法において耳を傾ける際のさまざまな視点(Listening perspectives in psychotherapy)』の中で、理想化された両親イマーゴと関連しているとして、Kohutの理論と技法を支持しています。Hedgesは、境界例患者の弱い自我について論じて、こう書いています。境界例の場合、心理療法は自我構築的であると知られているが、それは治療者が何かを構築する必要があるとかそうすべきであるとかを意味しないことが言明されるべきである」彼は、分析の仕事は治療者からの直接または指導的な「支持」や示唆なしに進みうるものであり、それでも自我は成長しうると信じています(Hedges 1983;Kouhut 1985)。本章で論じてきたことは、理想対象の摂取の過程は長くゆっくりとした過程であるというものです。それはKleinによれば、子どもがそれ以前に部分対象への強い肯定的関係を発達させていたかどうかに掛かっています。そして治療者は、自分たちの解釈の仕事が適切なレベルに向けられ、この過程を邪魔しないように留意すべきです。