うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

『竹島水族館と、土用餅と、【もし発達の条件が良好なものであるならば、乳児は、理想対象や自分のリビドー的衝動は悪い対象や悪い衝動よりも強いとますます感じるであろう。】



今日の日中は、竹島水族館に行ったようです。先程、親分から写メが送られてきました。
皆さん楽しまれたようです!

 お昼はファミレスでしょうか?
暑いので、水分補給をまめにして下さいね!


 今日は夜勤なので、午前中に受診などの用事を済ませ、昼食を摂りながら本を読みました。
今日は、教科書的な方に戻ります(笑)


 パワーズで昼食を買ったついでに、土用餅というものがあったので(笑)買ってみました。
頂いてから夜勤に行って来ます。 



第9章 欠くことのできない天使――発達としての理想化

 本章では、迫害不安や抑うつの痛みに対する防衛として用いられる理想化過程と、発達において必要な段階としての理想化過程との区別についてみていきたいと思います。Klein と彼女に弟子たちはいずれの機能も強調していますが、興味深いことに、LdplancheとPontalis(1973)の精神分析辞典も、Hinshelwood(1989)の辞典も理想化の防衛的機能に関するKlein の見解にしか触れていません。私がこれから示したいのは、慢性的に抑うつ状態の子どもの空想における理想対象の初めての出現は、抑うつに対する抵抗や回避の防衛ではなく、重要な発達的達成の兆しかもしれないことですこの主題への私の関心は、理想化の進展についてほとんど知られていないという事実についてElizabeth Spillius が言及したことに触発されました。

〜Ldplanche とPontalis は、理想化を次のように定義しています。「理想化は対象の性質や価値が完全性の点まで高められる心的過程である。理想化された対象への同一化は、理想自我と自我理想の形式に寄与する。」彼らは、Freud は愛する対象の理想化は自己愛と密接に結びついていると考えたと指摘します。Rosenfeld (1964)は、同じような結びつきを指摘しています。Klein (1952)は、「乳児の情動生活に関するいくつかの理論的結論」において、「非常に幼い乳児の情動に特徴的なのは、それが極端で力強い性質を持っていることである。欲求不満を与える悪い対象は愛する恐ろしい迫害者のように感じられ、良い乳房は、貪欲な欲望を即座に無限に満足させ続けてくれるはずの理想対象に変わる傾向がある。このようにして、いつでも手に入りいつでも満足を与えてくれる、完璧で尽きることのない乳房についての感じが生じると述べていますので彼女は付け加えて、「理想化が迫害対象から身を守る必要性から生じている限りにおいてのそれは不安に対する防衛の方法である(p.64)」と書いています。しかし彼女はまた、「いくつかの点でこれらは防衛[分裂と理想化]は、統合への道を阻害する一方で、自我の発達すべてに欠くことのできないものである。というのは、それらは、繰り返し幼い乳児の不安を和らげるからである。この相対的で一時的な安全感が達成されるのは主に、迫害される対象で良い対象から離されていることによる」とも述べています。彼女は続けて、対象関係は愛と憎しみによって形作られること、そしてそれは一方が迫害不安によって浸透され。他方で彼女が「対象の理想化に由来する万能感的な仮の元気づけ(omnipotent reassurance )(pp.70-71)」と呼ぶ、迫害不安の派生物によって浸透されることを書いています。このようにKlein は、いくつかの箇所では理想化の防衛的機能を強調していますし、他の箇所では自我の発達すべてに欠くことのできないものであるという事実を強調しているようにみえます。おそらく、「万能感的な仮の元気づけ」よりも「有能感に基づく真の元気づけ(potent assurance )」という言葉のほうが、理想化の非防衛的で不可欠が機能よりうまく言い表すでしょう。さらに、理想化されたという代わりに理想の状態というものを考えるのは役立つかもしれません(Deboras Steiner[私信])。というのは、動詞は、ある状態から別の状態に積極的または意図的に変えるという含みがありがちなのに対して、名詞にはそういう含みは必ずしもないからです。 Klein は理想化「躁うつ状態の心因論に関する寄与」(1935)においても、防衛だけでなく必要性を強調しています。彼女は、抑うつポジションと呼ぶ最終的な統合のための二つの前提を指摘しています。それらは、1)部分対象への強いリピドー的な関係であり、2)全体対象を最終的に取り入れることです。再び1940年に、「喪とその躁うつ状態との関係」において彼女は、「良い対象への信念が動揺すれば、最も苦痛なかたちで理想化の過程と妨害される。理想化の過程は必ずしも心的発達において。不可欠の中間段階である。幼い子どもの場合、理想化された母親は復讐する母親や、死んだ母親から、またすべての悪いものから保護してくれるものであり、したがって[必要性の要素を強調するのには、「したがって」よりも「また」の方がおそらくよかったと思われます]安全感と生そのものを意味するのです。(p.355)」〜

〜Hanna Segal(1964) は、『メラニー・クライン入門』のなかでない必要性の概念にさらに近いものを強調しています。そこで彼女は、理想対象の強さと自我の強さという要素を強調しています。これは、量的な考察を提起していますが、これについては後に述べるつもりです。彼女は次のように書いています。


 もし発達の条件が良好なものであるならば、乳児は、理想対象や自分のリビドー的衝動は悪い対象や悪い衝動よりも強いとますます感じるであろう。乳児は、理想対象にもっと同一化することができるようになるであろうし、生理学的成長と自我の発達のお陰で、乳児は、自分の自我が強くなりつつあり、自分自身や理想対象を守ることがよりできるようになっているとますます感じるであろう。乳児が、自分の自我が強く、また強い理想がを所有していると感じれば、自分の悪い衝動をあまり怖がらないようになるし、したがってそれを外界にあまり投影しなくてもよいようになる。(Segal 1964:54)

 Rosenfeld は、分析家は、良性の雰囲気を作り出すために分析家を理想化する必要があるかもしれない「非常に脆弱な」患者においては、理想化をあまり早く壊すべきではないという理論的で量的な含みを持った技法上の指摘を行っています(Rosenfeld 1987:271)。