うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

散歩と、浅草キッドと、【その目的は、苦痛に満ちたショックが、否認される代わりに吸収され消化され耐えられ、そしてそこから何かが学ばれることができるためです。】


 今日も早めに出て、ファミマでコーヒーを飲みながら30分本を読み、渥美に向かいました。
こちらも早めに出て、すろーじゃむによって、草を抜いたり、居室や浴室の除湿をやって来ました。
 ブドウは思ったより順調で、少しずつですが大きくなってきていますし、葉も15枚(一枝に)必要ですが、10枚くらいになっていました。日曜日から、本格的な梅雨に入りそうなので、病気が心配ですが、3年間無農薬・無肥料だったので大丈夫だとは思っています。抜いた草を、ブドウの根元に置いてきました。

 ブドウ棚の下には、植えた覚えのない、かぼちゃとジャガイモが元気に育っていました(笑)


 午前中は初立池を約一周半(途中で引き返したので)ゆっくり回りました。

 水際を眺めていると、沖縄に来た感じがしました(笑)

 甲羅干ししていたカメが、人の気配に驚いて、一斉に水の中に飛び込んだので、こちらがびっくりしました(笑)
沢山いました......。四天王寺さんや、妙心寺の池にも沢山いますね!



 お昼からは、白谷海浜公園に行きました。
7月の海開きに向けて、ユンボが砂浜に入って、整地?していました。

 遠くでは、自動車船が凄いスピードで港に向かっていました。
自動車船の船底は、スピードが出せるように、鋭くとがっていると、こちらに来て初めて聞きました。
船底を見たことはありませんが(笑)早かったです!
 今日も沢山歩きました!
 汗も沢山かいたので、戻ったら入浴介助をさせていただきました。
なんやかんやしていたら、直ぐに夕食の時間になり、おっちゃんはお役御免となりました(笑)


 昨日、夜勤明けで受診して帰宅してからふと、浅草キッドをギター用にアレンジしたくなってしました。弾いていると、親分が、長谷川きよしの『卒業』をアレンジしろと言って来ました(笑)
 まあ、その内やらせて頂きます(笑)
 浅草キッドは、竹原ピストルで自分は知りましたので、イントロは、竹原ピストルの物を拝借して(笑)キャロル・キングのYou Got a Friendのイントロと混ぜてみました(笑)
 演歌の様な、演歌では無い様な、感じです。



 アップは昨日読んだ箇所です。
最初のたとえは分かり易く、各章のはじめにいくつか書かれていて、興味深く読ませて頂いています。


第3章 脊椎動物になること
 Jacque Barzun(1987)は『William James との散歩(Stroll with William James )』の中で、イギリスのある水族館で蛸をじっと見て、「われわれの共感にはこれほど接近不能なかたちをとった柔軟な生命力」について語るのはWilliam James だけであったろうと述べています。Jacques Cousteauの海洋世界についての驚異的な映画の中の一本の最後にヨットのデッキにある特大の木箱の中に閉じ込められた巨大なイカの一連の動きを見せる場面がありまし。木箱の蓋を取ったまにしておくと、ゆっくりとそして気味悪く、その生き物は最初にその足を、それからそのぬめぬめした胴体を木箱の外にずるずるとのばし、箱の外側をずるずると下降し、デッキを横切り、ヨットから外に出て行きました。カメラは海面下で待ち構えていたに違いません。というのは、その後私たちが目撃するのは奇跡だからです。気持ち悪く、ぶざまで、いやらしくずるずる動くその生き物は、深海のバレリーナに変容します。その足は、風になびく柳のように、頭の後で波打ち流れていきます。その生き物が自らの本性を再発見すると、全てが流麗です。多くの精神病の子どもは、陸地は障害物が、あまりに静的で荒っぽく角ばっているという感じを私たちに持たせます。新生児が、ある生活環境(medium )から別の生活環境への移行が容易になるように配慮される必要があることについては今日多くのことが書かれています。例えば誕生と呼ばれる液体から気体への大変化の間がそうですし、そろから入浴と呼ばれる合意、すなわち水の中に入ることとそこから出ていくこと、また乳房に離されることがさらに服を着せられることと裸にされることなどがそうです。 
 深刻に病んでいるこれらの子どもと少しでも深く臨床の仕事をしたことのある人なら誰でも、彼らがあらゆる移行をいかに困難なものと感じているか、そして治療のある段階では可能な場合にはそれらの移行を容易なものにしスムーズなものにすることがいかに重要であるかを知っています。私がここで言いたいのは、訓練された心理療法家は精神病患者の治療で休暇を決して取らないとかと彼らに苦痛な真実を直面させないということではありません。変化は否認されません。つまり、差し迫った休暇や様々な変更、例えば時間、変更や部屋の変更、あるいはもっと悪い場合には治療者の交代などは、それが起こる前後に準備され話し合われます。その目的は、苦痛に満ちたショックが、否認される代わりに吸収され消化され耐えられ、そしてそこから何かが学ばれることができるためです。ロビーとの治療が困難であった点はに彼が最終的に見つけ出した自分の進む道をスムーズにするやり方がとても効果的であるものの、心を破壊するものであったことでした。〜