うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

昨日のトワイライト・タイムと【Frances Tustin はに自閉症児がしばしば持ち歩く玩具や物を指す言葉を造りました。彼女はそれらを「自閉対象(autistic object )」と呼び、Winncott の移行対象という概念、すなわち健常な1,2,3歳児がベッドに持っていく、ぬいぐるみや柔らかい毛布等と明確に区別しました(Tustin 1958 Winncott 1958)。】


 今日は、遅番で先程帰宅しました。
季節がら、体調が思わしくありませんが、現場に入ると忘れてしまうので(笑)良いことだと思います。
 写真は昨日の夜の、ひーひー王子との散歩で見た風景です。縹色とでもいうのでしょうか?個人的に好きな色です。


 アップは昨日の続きです。
この本だけでも、メラニー・クラインからウィニコット、タスティン、アルヴァレズ、メルツァーまで理解できると思えるほど、分かり易く書いてくれています。でも、約15,000円でした.......。しかも、大学が放出していないと、自分には手にとれなかった本です。


Frances Tustin は自閉症児がしばしば持ち歩く玩具や物を指す言葉を造りました。彼女はそれらを「自閉対象(autistic object )」と呼び、Winncott の移行対象という概念、すなわち健常な1,2,3歳児がベッドに持っていく、ぬいぐるみや柔らかい毛布等と明確に区別しました(Tustin 1958 Winncott 1958)。Winncott の移行対象は半ば真の象徴でした。つまり、それは半ば母親を象徴的に思い起こさせるものであり、半ば母親の重要性を忘却するやり方でした。したがって、それは真の象徴になる中間のようなものでした。 
 この点に関して、ある重要な精神分析理論があります。それは正常な思考過程と精神病的な思考過程との相異に関する、後に重要な影響を及ぼしたHanna Segal の論文と関連しています(Segal 1957)。分裂病者は、最も器質的な方向付けを持った精神医学や行動主義の文献においてさえも、典型的に具象思考であるとしばしば記述されてきました。Hanna Segal は、象徴形成の能力は正常な思考と言語の特徴であり、真の象徴は対象と関連しそれを表象するがまたそれが表象する対象、は根本的に異なっているものとして体験されることを提起しました。もともとの対象の取り替え不能性や根本的なエッセンスは、尊重されます。一方で象徴的等価視(symbolic equation )は、象徴と対象とを等価に見てそれらの相異を否認します。Segal は、バイオリンを弾けなくなってしまったある精神病の男性用例を引き合いに出しています。彼が弾けなくなったのは初めてまるで文字通り公衆の面前で自慰をしているように感じるからでした。これは幻覚的願望充足の例としてFreud が挙げている人自分の親指を吸って一時的にそれらを乳房だと信じる赤ん坊の例に似ています(Freud 1900:566)。Winncott の移行対象は、象徴と象徴的等価物との中間です。柔らかな抱き心地のぬいぐるみや肌触りの良い毛布は、子どもを母親のぬくもりや守りを思い起こさせ、またそれらを表します。それにこれによって子どもは、母親がまだ自分と一緒にいるかのように眠りにつくことができます。移行対象段階においてはする子どもは熊のぬいぐるみは母親の代理物にすぎないことを半ば知っている一方、必要なのはぬいぐるみだけだと自分に言い聞かせてこれを半ば否認しています。これらの移行対象がずるずるとそれだけが重要というほどになってしまい、現実であれば人間である母親に匹敵にかそれ以上のものになり、それによって子どもが母親や生きている人間を必要としていることを恒常的かつ慢性的に無視できるようになってしまえば、それらは象徴的等価物または自閉対象になります。Tustin が指摘するように、その場合はそれらは、人間的接触を避け、生きている人間というほとんどコントロールできない対象を自分の心から排除するために用いられています 。(Tustin 1981)

Tustin は、自閉対象はその物がもともと意図された機能で用いられていないことを強調しました。彼女は、それが関連する空想を全く伴わないようであり、極端に一定のやり方で執拗に用いられることを示しました。彼女は「それは変化に乏しくない新しい連想のネットワークの発達に繋がるような開放的な性質を持っていない(Tustin 1981:96)」と書きました。これは自閉症児病理の力動についての素晴らしい記述である。